・自己肯定感が低い。
・自分に自信が持てない。
・自分に価値があると思えない。
すべてが以前の私に当てはまる。
”美人になったら”
”スタイルがよかったら”
”もっと可愛げがあったら”
・・・幸せになれるんだろうなぁ。
そう思っていた頃、人生損していることに気が付いた。
人生の楽しみ方を履き違えていた
そもそも他人軸で生きていることが間違っていたのだ。
誰かにブスと言われたから何なのだろう。
誰かに嫌われたからと言ってなんなのだろう。
ブスって言われるのは辛いし、みんなに嫌われて一人になるのは恐い。
でもブスなんて平気で言ってくる人は、私の世界にはいらない。
”自分を生きる”ようになってから、そう思うようになった。
相手に嫌われないように振る舞って、たとえその自分が好きと言われても、ますます自分が惨めになるだけだ。
一歩を踏み出すのは恐い。
半歩でさえ恐い。
でも、死ぬまでそんな世界で生き続ける方が恐い。
美人でなくても、胸がなくてお腹出てても、肌が汚くても、
考え方を変えただけで、驚くくらい人に愛されるようになったのだ。
異性にも、同性にも。
そして幸せはいつも、すでに自分の中に存在していることに気付いた。
幸せになるのなんて、本当は簡単だったんだ。
整形したわけではないし、髪形やメイクを変えたわけでもない。
痩せてもいない。
物理的に何も変わったことはなかった。
自分らしく生きるだけでよかったのだ。
それはつまり、自分軸で生きるということだ。
”みんなそれぞれ幸せの形は違う”ということに気付いたのは、海外に住んだ24歳のとき。
語学学校で出会った友達の30代のチリ人夫婦は、「将来はわからないけど旅したかったからメルボルンに来た」と言っていた。
チリではエンジニアと弁護士をしていたのに、今はメルボルンで2人とも清掃のアルバイトをしている。
BBQで出会った30歳くらいの日本人男性は、1人で世界中を旅をしていた。
ヒッチハイクをして移動したり、ダイビングの資格を取って次の国に行くまでお金を貯めたり、その時やりたいことをして生きていた。
旅する前は、自衛隊にいたらしい。
そのような、日本にいたらなかなか出会えない自由な生き方をしている人たちがたくさんいた。
そしてその人たちには、共通していることがあった。
生きるのが楽しそうだったということ。
笑顔が素敵だということ。
自分の心に素直に生きているということ。
本やテレビでみる人ではなく、私は実際にそういう人たちに出会ったのだ。
だから”知識”ではなく、”体験”して”体感”できた。
そして、学んだ。
ブランドファッションを身に付けて、毎日豪華な食事をしている人が羨ましいからといって同じことをしても、それが自分の幸せだとは限らない。
公園で遊んでいる家族が幸せそうだから家族を作っても、それが自分の幸せだとは限らないのだ。
幸せになるためにしなければいけないことは、自分の幸せと向き合うことだ。
だから他人の目なんて関係ない。
他人にどう思われても、自分が幸せであればいいのだ。
良い人にならなくたっていいんだ。
わがままに生きて、自分勝手に生きても、そんな私を好きだと言ってくれる人がいる。
不思議なことに、むしろその方が人に「好きだ」と言ってもらえることが増えたのだ。
ハードモードにしていたのは、自分だった。
世界は自分が思ってたより、イージーモードらしい。