ちなみに、誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイターの話①を書いた時の心境はそれなりだった。
唯一語り合える仲間だと思っていた友達に、心の中で別れを告げた日の帰り道、泣いた。
彼氏とでも別れた気分だった。
相手がみている未来に自分がいなくなってしまったのなら、お互い分かれ道を進んでいくしかないでしょ?
自分自身でも気付いていないのだろうけど、会話の節々で私を見下しているのが伝わってきてどんどん悲しくなっていくのが自分でも分かった。
ネットワークビジネスの恐いところは、自分の所属しているコミュニティが最も正しいと信じ込んでしまうことだ。
「それは本当にあなた自身から出てる言葉なの?」と思うことがよくある。
人はお金や時間を投資した分だけ、もしくはそれ以上にその投資したものが素晴らしいことだと思い込む習性がある。
ネットワークビジネスなんかは特に、ある意味人を騙すようなことをすることになりかねない。
その人自身ももはや騙しているなんて思ってなくて、本当に勧誘した相手が幸せになれると思っている人も少なくないだろう。
人は物事を正当化することが大得意だ。
それも自分自身でも分からないくらい無意識に。
ネットワークビジネスは実際、ネットワークビジネスをやって幸せになった人もいるだろう。
「孤独だったけど仲間が増えた。」
「やりたいこともなく、なんとなく生きていたけど、ネットワークビジネスに出会って生き生きと生きれるようになった。」
そういう意味では、その人にとっては良い環境なのかもしれない。
しかしだからといってみんなが同じ環境で幸せになれるわけではない。
やっかいなのは、ネットワークビジネスをしている人たちはそのことを勘違いしている人が多いように思う。
「毎日同じことの繰り返しの日々ってつまらない。」
「汗水垂らして働くより、自由に暮らした方がいい。」
「会社に雇われて働いてても、お先真っ暗だ。」
果たしてそうなのだろうか。
色んな常識があって、色んな人がいて、色んな感情があって、色んな人生がある。
私の人生が本当に世界が面白くなったのは、そのことに気付いてからだった。
常識はどこまでも固定概念だし、固定概念があることに気付いたときからが、固定概念になる。
今の時代は夢とかやりたいこととかがないと逆に生きづらい世界になりつつあって、私もずっと夢中になれるものが欲しいと思っていた。
だからネットワークビジネスに勧誘されるのが得意だったのだろう。
人は何か信念や希望を持っていないと、生きれないんじゃないかって思う。
だから宗教ができたんだと思うし、そんな人の気持ちを利用して良くない宗教やネットワークビジネスも流行るのだろう。
最近だったらオンラインサロンも新しい信仰タイプかもしれない。
いい意味でね。
そんな世の中で何が大切なのだろうと考えると、自分をどれだけ信仰できるかなのかなと。
幸か不幸か、正解か間違いかなんて自分で決めればいいんだ。
本当に大事なことを、忘れないで生きたい。