弱い自分にもらった産物をギュって抱きしめながら、また初めてのおつかいに出掛けてみるのもいい。

今は何もしたくない。

働きたくないし、やりたいことを探す気も起きない。

ごはんは美味しいものを食べたい。

 

 

だったら何もしなければいい。

働かなければいいし、やりたいことを探す必要もない。

ごはんも美味しいものを食べればいい。

 

私の今年の目標は「お気分屋さんになる」だ。

始めの一歩を踏み出そう。

 

 

仕事を辞めようか、お給料は減るけど仕事量を減らしてもらって働き続けながら傍らでやりたいことをしようか、今日は運命が決まる日だ。

(どっちにしろ以前の働き方とは変えてもらうつもりだ。)

 

これから会社の上の人と話をしてくる。

 

 

1週間猶予をもらって心を休ませてもらった。

 

幸い周りの人に支えられて、気分を病むことはなかった。

でも何もこの先のことを考えたくなかったから、考えてない。

 

毎日仕事に追われていた日常から1歩逸れただけで、ゆっくりと時間が流れる世界が目の前に広がっていた。

 

 

「自分は何がしたいのだろうか。」

何かしたいことがないと、つまらない人生になっていくような感覚に陥る。

  

自分の余命を決めたら、もうちょっとシンプルに考えられるようになるだろうか。

 

今やりたくないことを、排除できるだろうか。

 

  

私の中ではっきりしているのは、世間の幸せを自分の幸せと勘違いしたくないということ。

 

マイホームやマイカーはいらない。

偉い役職もいらない。

 

私の幸せは結局、大切な人たちと一緒にいることだなと思う。

 

 

何かをやり続けた結果何かを得るという経験はしたいけど、仕事が続かなくてすぐに辞めてしまってもいいよね。

思った通りにストーリーが進まないのが、人生だったりする。

 

辛くて号泣して味わうしょっぱさとか、小さい頃からなんとなく聴いていた音楽にまさかで救われたときの感動とかさ。

だれも結末を知らないからこそ味わえる辛さだし、そうやって自分自身で演出していくストーリーだから面白いのだ。

  

やりたくないことを我慢し続ける自分はもう卒業したのだから、自分の中にある今までで作り上げられた”常識”の部分に「お前は何でそんなに弱いんだ」って言われても聞こえない振りをすればいいね。

  

弱い自分万歳だ。

 

弱い自分で生きると決めて生まれてきたのだ。

弱い自分からもらった産物をギュって抱きしめながら、また初めてのおつかいに出掛けてみるのもいい。

 

 

正直、これから会社の人と話をしに行くのが恐い。

 

でもワクワクしたいな。

 

ワクワクしたいなら、ワクワクすればいっか。

 

 

本当は、それくらいシンプルでいいのだ。

 

なぜかできない理由を考えるのが得意で、しかも自分自身も気付かないくらい無意識に自分に対してネガティブな言葉を投げつけてしまっているらしい。

いじめはよくない。

 

でもいっそ小さく死んでしまうのは、いいかもしれない。

次の章を迎えるのにおいしい展開にしていくか否かは、私の演出にかかっているよ。

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