人生は回収しない伏線をつくったもんがちなんだと魅せられた話

「ありがとうございました。西野亮廣でした。」

えんとつ町のプぺルのエンドロールの最後に副音声の西野さんがそう言った。

 

その何でもない一言がかっこよすぎて泣いた。

心が泣いた。

 

その一言だけで、”西野亮廣”を魅せつけられたからだ。

 

言葉や声に、その人の生き方が表れるのだということを、体感させられてしまった。

 

 

と同時に、”悔しい”と思った。

 

こんな遊び方ができる大人になりたい!と、思ってしまった。

 

 

でも履き間違えてはいけないのは、「西野亮廣」を目指してはいけないということだ。

 

同じ人は誰一人いないのだから、同じやり方で生きたとしても必ず苦しくなる。

 

 

西野さん本人も話していたけど、誰かの背中を追っても、その人を超すことはできない。

どうしたって、私みたいな人は人と比べてしまうしね。

 

だから私は「自分を生きる」ということを、とことん追求することが1番幸せへの近道だという結論に至っている。

 

 

感動して涙が出てきたのは、忘れていた大事な何かに気付かされたからだ。

そんな大人が周りの席にもたくさんいた。

そんなシンプルな生き方のはずなのにできなくなっている大人だから、心を揺さぶられてしまったのだ。

心を揺さぶってほしい人は、観に行くべき!

 

 

 

自分を生きるためには、色んな人や経験と出会って、自分がワクワクすることだったり好きなことを情報収集する必要がある。

 

私は大学生くらいまでずっと、やれと言われたことだけをやればいいと思って生きてきた人間だから、好きなことをして生きていくという概念がそもそもなかった。

  

 

だから私みたいな人は特に情報収集が1番大事なんじゃないかって思う。

 

ちょっと自分の世界の外に勇気を出して踏み出してみると、びっくりする生き方の人ってたくさんいて面白い。

 

西野さんもすごすぎる人だけど、同じ人間だって考えたら、私もこんなかっこいい人になりたいなってシンプルに感銘を受ければいいのだ。

 

昔の自分は、「西野さんだからできたんだ。自分なんかできるはずない。」なんて最初から感銘を受けることさえ無意識に恐がっていた。

だって自分がそんなすごい人を目指すなんて無謀なことで、苦しむことくらい最初から分かってしまうから。

 

 

 

でも25年間生きてきて思うのは、「この人みたいになりたい!」って感じるのなら自分はそうなれる素質があるということだ。

 

憧れの人になるのは無理だけど、「なぜその人になりたいと感じるのか」「その人のどういう部分に憧れているのか」を噛み砕いて考えてみる。

それをどんどん集めていくと、自分の憧れやワクワク、好きなことが集まって、オリジナルの「自分」ができていく。

 

と思ったら、私はすごくワクワクした。

 

 

そこに辛いこととか悲しいことも合わさってできていく自分だから、素敵じゃん。

愛おしいじゃん、と思ってます。

 

 

 

そしてえんとつ町のプペルは冒頭でも書いたように、2回目は副音声で観たのだけど、1回観ただけでは気付かなかったことを西野さんがたくさん喋ってくれている。笑

 

とりあえず伏線がすごくて。

 

 

 

「回収しない伏線をたくさん作っておくと、後から使えるのでよい。必要ないなら使わなければいい話。」ということを話していた。

 

 

「なるほど、それなら人生も伏線をつくったもん勝ちだな」と思った。

 

 

 

私は何かをずっと続けてきたという経験がない。

小学校のときはミニバスケット、エレクトーン、そろばん。

中学はソフトテニス部で、高校は3か月だけ書道部でその後は帰宅部。

大学はダンスサークル。

 

大学4年間看護を学んで、1年手術室看護師として働いた。

(ちなみに病棟は学校で学んだことの延長線上で応用であるのに対して手術室は全く違う世界なので、0から勉強することの方が多かった。)

 

その後エキストラやレストランでアルバイトをして、オーストラリアへ飛んだ。

英語が勉強したかったわけではないし、将来海外に関わる仕事がしたかったわけでもない。

ただの勢いとノリ。

 

帰国してからはベンチャー企業で構造計算のデータベース化の仕事をした。

構造計算は建築系のITの分野で、数学や物理を使ってエクセルで建物の安全性を確認するための入力するお仕事である。

ちなみに私は理数系ではないし、物理がめちゃくちゃ苦手だ。

でもベンチャー企業でOLをしてみたかったし、やりたいことも明確でなかったからとりあえずやってみようというノリで就職した。

 

 

こんな人生だからてんで経験が繋がっていない。

ステップアップ的なことがない。

 

でもその生き方が良かったのかわるかったのかは、今私が幸せであるということが示していると思うのだ。

 

 

私は今やりたいことやワクワクすること、好きなことが昔の自分とは全然変わっている。

全然繋がりのない経験をしてきたようで、今の私がずっと変化しているのなら、それはちゃんと繋がっているんだって思う。

 

自分が進化しているってことだから!

 

こんな私でもずっと変わらないのは、「幸せになりたい」と思っているということ。

  

 

その結果今が幸せであるのなら、繋がっていないように思える人生でも、ちゃんと繋がっているってことでしょ!

 

 

まだ回収してない伏線の方が多いけど、実際引き出しの多い大人というのは、回収しない伏線をたくさん持っている人だと思う。

個人的に引き出しの多い人は、めちゃめちゃ魅力があると思っている。

 

全然関係のないと思っていた伏線が繋がるときの瞬間は、ゾクゾクするので楽しい。

 

 

だから回収しないかもしれない伏線は、自分が好きなものややりたいことがあるだけ作っといた方がいいと思ったのだ。

 

 

 

 

自分がやってきたことは純粋な理由でなくても、必ずやろうと思った理由がある。

 

 

それも1つの自分だ。

 

 

看護師は真っ当な理由でなったわけではないし、なんなら看護学科に入る前から看護師になりたくなかった。

 

 

でも今は「予防医学」に興味がある。

自分でも驚くけど、意外なところで伏線を回収できたりする。

 

 

自分でも予想できない分、面白いよね。

 

だからこれからはやりたいことは何でもやってみることにする。

やり遂げなくてもいいから、まずはやってみるの!

 

 

そして自分の人生のエンドロールが終わる時に、色-んな伏線を思い返して「うふふ」ってにやけながら幕を閉じたいな。

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