自分というエンタメを、いかに面白くさせるかについて真剣に考える回

わかりきっているのに、悔しくて涙が出てきた午前0時。

 

「前のシェアハウスには、自分の夢に向かってずっと頑張ってきた人たちがたくさんいたんだよね。目標に向かって頑張って大きい貿易会社に入ったり、絵が好きで今はインスタで絵を売っているけど、最近は美術の学校に通い出した人もいる。そんな人たちといるとすごく刺激を受けるんだ。そして自分も頑張らないと追いつけなくなる。差が離れすぎちゃうと、それはもう友達じゃいられなくなるんだよ。足枷みたいになりたくない。」と、同じシェアハウスに住んでいる19歳の大学生が私に話した。

”前のシェアハウスの人たち”というは、25歳の私よりも年下の子ばかりである。

 

 

知らなかったけど、どうやら私の中にもプライドというものがあったらしい。

 

そしてそれが割れたらしい。

 

 

人はひと、私は自分だ。

 

でも、目の前でそんなことを話されたから「大きい夢なんて持っていないし、目標に向かって努力できるタイプではないし、つまんない25歳」と言われているようだった。

 

目の前の現実を全力で生きれていたら、そういう話を聞いても何も傷つかなかっただろう。

 

私は自分をまだ認められないでいるんだ。

自分をつまんない25歳だと思っているから、落ち込んだのだ。

その現実を突きつけられた。

 

大きい夢なんてなくたって、今はどんどんやりたいことが溢れてきているし、明確になってきている。

目標に向かってコツコツと努力できないタイプだけど、試行錯誤しながら日々自分にできることはしているの。

 

でも私が思う「自分」にはまだなりきれていなくて、いや、その過程を楽しむのも大事だとは思っているのだけど、うん。

 

やっぱりどうやったって若い頃から夢があって、それに向かって頑張ってきた人には年下だって叶わない。

過去は変えられないのだ。

 

だから”その過去を、どうやって面白く魅せるか”で闘うしかない。

 

「良くも悪くも平凡で何の個性もない私の過去」を、どうやって料理するかを考えるのだ私!

   

 

かといって答えなんて見つかってないし、今の時点で見つかってその答えに固執するのも違うと思うし、そもそも答えなんてないし。

 

「りなは何がしたい?」

とその真っすぐな19歳に言われて、一言では言えなかった。

 

 

でも少なくとも私が生きていたいのは、大好きな人たちとお酒でも飲みながら、今何に興味があって、これから何をしたいのだとか、そういうことをわちゃわちゃ話して幸せを感じられる未来だ。

 

幸い、もうその”未来”は現在進行形で叶っている。

 

もっともっと大きい自分になってその未来の幅を広げていくのが、私の今の望みである。

 

 

その”未来の幅”が、エンタメを面白くさせるキーなのだ。

 

 

そうなったときに、私はやっぱり自分をちゃんとエンタメ化したいと考えた。

 

自分が1番ワクワクするストーリーを創っていきたい。

そして私自身に魅せつけてやりたい。

 

 

もうすでに何回か軽く死んでるし、何したっていい。

 

私は「何したっていい」の難しさをぐさぐさ感じてきた身であるのだけど、ここ最近思うのは、「何したっていい」の幅は行動することでしか広がっていかないということ。

そして自分1人では広げられないということ。

 

夢を持っている人、好きなことを仕事にしている人、好きなことを仕事にしていないけど趣味をとことん楽しんでいる人、私の知らない世界をたくさん知っている人、自分にはないものを持っている人…そういう大好きな人たちが周りに増えれば増えるほど、私の周りには大好きな人たちの”大好き”が増えるわけで。

そんな環境の中で私の想像できる未来が大きくなっていっているのは、確かだ。

 

幸せでいる覚悟はすでにあるのだけど、それだけでいいのだけど、人生まだまだ長いから自分の人生に飽きるのだけはごめんだとも思った。

 

私はずっと分かっていて敢えて決めないでいた覚悟がある。

 

 

「まだ知らない自分を超える覚悟」だ。

 

もう26歳にもなるし、自分がどういう人間かって大体分かってるつもりだった。

 

だけど長い人生、20代半ばの時点で自分が分かってしまうなんて、そんなつまらないストーリー構成を危うく創ってしまうところだったんだ。

 

未来が想像できてしまう時点で、もう人生のエンドロール流したいレベルである。

 

 

ちゃんと自分自身の頭で考えて、恥をかいて、失敗して、まだまだ軽く死のう。

もっと知らない自分に出会うために。

 

自分の心臓を、どれだけ速く刻ませるかだ。

 

つまらないをネタに、1杯どうですか。

本日、もやもやな感情が生まれた。

  

人は数えきれないくらいの感情を、垂れ流しにして生きている。

自分から生まれた名前のない感情たちが、私の日常をバラエティ豊かにしてくれている。

 

でも私は、「楽しい」や「ハッピー」のような感情ばかりを認め、自分の中の違和感は見て見ぬ振りをして大人になるまで生きてきた。

 

でも楽しいやハッピーはもちろん、もやもやした感情もまた、大切。

もやもやは、自分が進みたい方向のヒントを教えてくれる存在だからだ。

  

だから今日、その取り留めのない感情をキャッチできた自分は成長したのだなと思い、ちょっと嬉しかった。

  

というのは前置きです。

 

 

 

もやもやの感情が誕生したのは、初めて参加した読書会だった。

 

人に誘われて、どういう会なのか興味もあったので試しに参加してみようと思って。

読んだ本を紹介して、それについてみんなで色々話したりするという会だ。

 

参加している人たちは色んな方がいて、多分人生に対して真剣に考えて今を変えたいと思っている人たちな感じがした。

なんか意識が高かった。

 

みんなビジネス書を紹介していて、「こういう部分に感銘を受けたから自分はこれからこうしていきたい」のようなことを話していた。

 

 

 

んー、私は正直つまらなかった。

なんか、もやもやしていた。

 

 

ビジネスとか社会のことととか、働き方とか、そういうことにはちゃんと興味はある。

だけどビジネス書の紹介を聴いていて、その内容を自分の言葉に置き換えて書いてあることをそのまま話しているだけのように感じてしまった。もやもや

 

  

そんなもやもやが生まれた理由を考えてみた結果、私が期待していたのは「その先」だったということが判明した。

 

現在のこの世の中に生きている大人はどういう本を読んで、どういうことを感じて、”どういう意見を持つのだろう”という部分に興味があった。

 

であるのに、その本がどういう本なのかはなんとなく分かっても、紹介している人がどういう価値観を持っていてどういう考え方をするのかということが私にはわからなかった。

そしてそれを聴いた他の人たちに対して意見をして、みんなで考えてそこに生まれる”新しい何か”を私は楽しみにしていたんだなぁと振り返って気付いた。

 

あくまで私の興味についての話であるから、その読書会や参加している人たちを否定しているわけではない。

 

 

小説だったら人によって感じ方や捉え方が違うから、私が期待しているような読書会になるハードルはきっともっと低いと思う。

物語って感情が動きやすいものであるから、人それぞれで全然違う部分がグッときたり、同じ部分でも響いた理由が違ったりする。

だから、読書会であーだこーだ言うの楽しそうだなと思って。

 

 

でも参加者の人たちが紹介していた本は、ビジネス書だ。

ビジネス書は小説と違って「情報」が書かれているから、どこの部分が刺さったかというのは人それぞれ違うとは思うけど、その先の先まで発展させて会話をしないとただの情報交換になってしまう。

 

それではわざわざコミュニティで人と関わって行う価値というものが薄くなる。

それなら自分自身で実際にパラパラって本をめくってみたり、口コミを読んでみたりすればいいのではないか?というのが私の意見である。

 

私はどうせ人と集まって話をするのなら、そこでしか生まれない何かを発生させて持ち帰りたい。

 

 

人間性と人間性、価値観と価値観、人生と人生が同じ本を読んで何を感じて、どう考えるのかをみんなで伝え合い、発展させて生まれたものにこそAIにはできない価値が生まれるのだと思う。

それが私的に、ロマンチックなのだ。

 

でもこの読書会に参加して、将来読書会ではないけど違う分野でコミュニティもつくりたいと考えていたから、自分の価値観が浮き彫りになって自分自身をもっと知れた。

 

 

ちなみに私は益田ミリさんの「今日の人生」というエッセイ漫画を紹介したよ。

筆者の日常がシンプルな漫画で描かれていて、オチもないくらいのシンプルな作品だ。

シンプルに表現されている本当に何気ない、リアルな筆者の日常を読んでいると、普段自分の中ではスルーしてしまっているふとした瞬間に思うこととか、素直な私らしい感情だったり、そういう目に見えない大切なことを気付かせてもらえる作品である。

 

私以外の人がビジネス書を紹介している中きっと場違いだったんだろうなとは思うけど、個人的に思ったのは私のターンが1番色んな人の意見が飛び交っていたし、意見している人の人生が垣間見えたし、話がどんどん発展していってたと思うんだ。

その読書会のコミュニティに対する目的が私とは違うから、それが良いとかわるいとかそういう話ではなく、私の嗜好の観点からの話でね。

 

 

私は最近、自分の枠をもっと広げたい欲がたくさん出てきた。

 

なぜなら私の意見に人生が垣間見えたとして、その人生にもっと面白さが足りないと思うからだ。

という面白くない理由で、私は人生をもっとシャカシャカしたい。

 

もっと論理的なお花畑脳内になりたい。

もっともっと自分の世界観をワイドにしたいし、4D化したいし、文明開化したい。

それでいて、星見上げたい。

 

と思ったのでつまらないをネタに、1杯飲みませんか。