東京に住んでいる全ての大人がかっこいいと思っていた、あの頃の話。

薄いカシオレが飲みたい。

カシオレが好きなわけではないのだけど、ふと飲みたくなる感情が湧いてくることはある。

99%牛乳のカルーアミルクも。

 

 

当時新しく大学生になった私は、サークルの新歓で何のお酒を飲めばいいか分からなかった。

先輩に聞いたら、とりあえずカクテルを飲めばいいらしい。

 

お酒を飲んだことがなかった私はみんなと同じカクテルを頼み、恐る恐る飲んだ。

ジュースと何が違うのか、分からなかった。

 

でも日本酒はくそみたいにまずかった。

もちろん罰ゲームでしか飲まなかった。

 

今思えばそれは当然のことで…

私たちがよく行っていた居酒屋の飲み放題は、90分1,280円だった。

でもあの薄いカシオレの味だとか、くそまずい罰ゲームの日本酒の味は、大人になってから飲んでみるとエモい飲み物に変身する。

 

私が通っていた大学は周辺に林や海しかなくて、バスで20分のところに最寄り駅があった。

だからうちの大学の学生は、みんな行く居酒屋は大体一緒だった。

 

雰囲気もお酒の味も良くはなかったけど、お酒が飲めればよかった。

みんなそうだった。

 

もう何を話していたかなんて覚えていないけど、サークルの中での推しは誰だとか、誰と誰が付き合ってて、どの人が童貞だとか、そんな類の話をしていたと思う。

 

サークル全体の飲み会は先輩みんなに乾杯をしに行って、酔いがいい感じになってきたら、自然とテーブルを移動して色んな人と話した。

 

”大学生ってこんな感じなんだ!”って、自分が「大学生」をしていることが楽しかった。

今も”OLってこんな感じなんだ!”って「OL」を楽しんでいるから、そこら辺は相変わらず変わっていない。

 

大学生のときは特別何かを成し遂げたわけではないけど、真面目に授業を受けて、空きコマに恋バナをして、実習へ行って、サークルもバイトもそれなりに過ごした。

すごく楽しかったし、すげぇ青春だった。

 

でも現在あの頃に戻りたいかといえば、戻りたいとは思わない。

今から同じことをしたとしても、あの時みたいなキラキラは感じないと思うし、そんなに楽しくないと思うから。

なのにあの頃の思い出はすごく胸がギューっとなるのだから、この感情の構造はわからない。

 

「人生で1回くらい合コンしてみたくね?」と言って開催した合コンで、まんまと好きな人ができちゃったあの頃。

看護学科で勉強しているのに、「あー、私が看護師なったら人生詰むな。」と思っていたあの頃。

でも、東京にはすごく憧れを抱いていて、東京に住んでいる全ての大人がかっこいいと思っていたあの頃。

故郷の外の世界を知らなかった、あの頃。

 

そんな自分が存在していた時代が、なんか大好きなんだよな。

 

現在は26歳になって、ある一定の世界を見たことがある大人になった。

東京にいる人はすごく面白い人もいれば、全然かっこいいと思えない大人がいることも知った。

上京して出会ってきた大人に、「物事の本質をみなさい」と言われて育った。

 

そして、大人になってからの方が、知らないことに出会う機会が増えた。

自分がみていた世界は、私自身が勝手に創り出している世界でしかないということを学んだからかもしれない。

 

あの頃私が創り出していた世界もわるくないし、なんなら中身のない昔の日常が創り出した第二の青春は天晴れだと思う。

 

とりあえず死ぬために生きている限り、どんな生き方をしようと天晴れな人生になると思ってる。

だから今日みたいな、特に何もない日常って特別だったりするのかもしれない。

 

今日は、昨日の自分よりももうちょっと、頑張ってみることにするか。

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