「私はくそつまならい、普通の人間であるからこそ面白い」という勇気を述べる

自分の客観的で冷静な思考と、ありのままの自分の本心が矛盾して起こった化学反応によって、何かを乗り越えたのちに新しい自分ができる。

そしてその化学反応で一緒に生成される産物が、涙だ。

CO2+H2⇄CO+H2Oで一酸化炭素ができるのと同時に、水ができるみたいにさ。

 

最近何をするにも自分きもいし、ダサいって本心が思ってしまって、頭では「お前、かっこいいぞ。」って言い聞かせてあげるのだけど、結局こらえても後で1人で泣いてしまったりする。

本心と喧嘩して少し新しい自分ができる代わりに、涙が生成されてしまうという仕組みだ。

 

「お前頑張ってるじゃん」の”頑張ってる”を、どうしても主観的にみてしまって。

こんくらいで頑張ってるとか言い聞かせている自分が嫌になるという、悪循環があったりする。

 

上司に叱られているときも、頭で成長するために上司の言っていることは正しいから自分がまだまだなのだとは思うのだけど、心はもっと未熟だからついていけない瞬間がある。

なんなら生理前なので、正論とかいう類のものが全てうざくなってくる。

上司の正論にイラついているのではなく、自分がその正論に当てはまろうとしていることが。

 

自分の本心くらい、大事にしてあげろよって。

正論で成長する部分があるのは確かだけど、とりあえずその叱り役は上司が担ってくれているのだから、自分でその役を買わなくたっていいのだ。

 

お父さんが叱り役なら、なだめ役のお母さん的な存在も自分の中に必要なのだ。

 

とりあえずどうしても自分を許せないのなら、自分の理不尽な感情を肯定する勇気を持ってみるなどしてみる。

 

1人で勇気が持てないのなら、Betty Davisのようなロックとか、GIRLBOSSのような映画を観て、背中を押してもらいにいけばいい。

ロックにのれない人生は、きっとつまらない。

多動性、衝動性によって生成されたロマンチッククリエイターの見解

ADHDだからかもしれない。

書くことが、心地良いのは。

ベッドに入って2時間くらい眠りにつけないのは日常で、瞑想もできない。

鬱な気分になることも、結構ある。

そんなメンヘラな自分を、未だに完全に好きになれないでいるのも事実である。

 

 

最近気付いたことがある。

何故私は文章を書くんだろうって考えてみたときに、実は「心のデトックス」をしていたんだということ。

 

日常でよくモヤモヤを感じるとき、どうすればいいかって調べると瞑想って出てくるでしょ?

 

だからやってみるのだけど、私は本当に瞑想ができない。

無になれない。

 

とっても瞑想したいから本気で何度もトライするのだけど、気付かないうちに数分で違うことを考えている自分に気付く。

自分でもこわいくらいに。

 

だって無になるのって、つまらないんだもん。

楽しいこと考えたいじゃん。

 

だから文章は自分に合った、心のデトックスの手段なのである。

自分のペースで、視覚的に見えるように自分のモヤモヤを文章にすることによって、その思いが浄化される感覚。

 

 

普段の何気ない時間に、自分の思考を客観的に観察してみたのだけど、めちゃめちゃ色んなことを感じたり考えたりしていた。

意外としないよね、自分の絶えず垂れ流しにしている感情だったり、思考だったりを改めて認識するという行為って。

 

だから夜も眠れないんだと思う。

グレーテスト・ショーマンの「A Million Dreams」の歌詞にめちゃくちゃ共感するもん。

 

毎晩ベッドに入ると

鮮やかな色彩で頭の中がいっぱいになる

無数の夢で目がさめちゃうんだ
 

僕が描いた世界は実現すると思う

無数の夢は叶えるためにあるから

無数の夢は世界を創るためにあるから

 

って。笑

 

未来を想像してにやにやしながら眠る日もあるし、自分の中にある闇の部分が広がって苦しくなる日もある。

寝るのが上手い人って、よく考えたらベッドでのこの妄想の時間ってないんだなって今気付いた。

 

小学生くらいのときは、好きな人と仲良くなる妄想を毎日してたなー。

現在は1mmたりとも恋愛の妄想とかできなくなってしまったのだけど、それってどうなのだろう。なんて思ったり。

 

 

ADHDの症状として、実際に入眠困難、睡眠の中断等がある。

そして日中は眠気の症状が強く出る。

 

私はまさにこれだった。

 

小学生の頃は毎日ベッドに入ってから2、3時間は眠れなかった。

 

大学の授業なんて、はりきっていつも1番前に座って真剣に聴いているのに、いつの間にか眠っている。

授業が終わって目覚めると、あーまた眠ってしまった…って嘆いてた。

先生からしたら、1番前に座っておいて堂々と寝る私のメンタルが理解できなかったかもしれない。

 

 

でも大人になってADHDグレーゾーンの診断をされて、改めて症状を調べたら殆どのことに当てはまった。

 

私はすぐ大事なことを忘れるから、何かやらなければいけないことができたらすぐにアラームを設定する。

これって小学生の頃保健委員会の当番の仕事を忘れて、クラスの男子に「お前、悪い子じゃん」みたいに言われたのがすごくショックだったトラウマがきっかけだと思う。(その台詞、改めて文字にするとなんか、あれだな…)

 

自分の携帯を持ってからは、アラームのメモに内容を書いて、思い出さなきゃいけない時間にアラームを設定して対策をするのが当たり前になった。

だから今でも夕方とかにアラーム鳴ったりするから、「え、なんでこの時間まで寝てるつもりだったの?」とかよく聞かれる。

 

精神科の先生は、上手く対策してきたんですねと言ってくれたのだけど、あーそういうことかと思った。

ADHDでなくても人間だから忘れることってあるけど、おめでたいことに、私は普通の人よりADHDの対策してるから大事なことを忘れないっていう長所ができた。

 

自分が人と違うことで自分を責めていた頃の自分に教えてあげたい。

 

お前それ、すごいもん持ってるじゃん!って。笑

 

人よりよく怒られるし、集中力がないから何かをやり遂げる能力も劣っていた。

そんなの人間社会のルールで言えば落ちこぼれなのだけど、大人になって思うのは、落ちこぼれは落ちこぼれなりの長所ができる。

そもそも「落ちこぼれ」なんて言葉は社会の中では使えるけど、地球的に言えば意味を成さない用語である。

 

仕事ができない人の気持ちが理解できるから、「なんでこんなこともできないの?」と正直思ってしまったとしても「ここで感情のまま伝えたって、それはかっこわるい上司と同じだ。」って踏みとどまれたことができたことがある。

 

よく怒られるから、怒られる度に悩んだし、でも悩んでるだけでは生きてなんていられないから、思考で前向きに考えられる能力も後天的に身に付けることができた。

それは最初からポジティブな人とは、また異なった長所だ。

ネガティブからのポジティブという”幅”を知っているのは、強いと思ってる。

 

人とは違う視点で物事を考えるきっかけが与えられているわけです。

それでいて、人とは違うことに気付けるようになる。強くね?

 

そもそも私のADHDに対する見解は、いわゆる”普通の人”よりも人間らしいのではないかってこと。

ちなみに忘れてはならないけど、私元看護師だからね。笑

一応、大学で精神疾患勉強してるの!

 

好きなこと以外に対する集中力がなくほとんど関心や興味を示さない「多動性」

思いついたことをよく考えずに即座に行動に移してしまう「衝動性」

これらのADHDの特徴って、言い換えれば「自分の心に素直に生きてる」という長所を持っているということでしょ?

 

不注意さや物忘れも、あくまで社会の中で必要な能力であって、その能力が低いからといってその人自身の魅力は失われない。

 

むしろ私は自分の好きなことを素直にやっている人や、思いついたことをよく考えずに即座に行動に移してしまう人の方が好みだ。

長所とか短所とか、結局どの視点で、どの基準で決められてるのかって話。

 

いわゆる”できる系”の人だったら、こんなこと考えもしないわけである。

私はそんなできる系の人と真っ向勝負したっ勝ち目はごく僅かなわけで、戦略立てて挑むか、違う土俵で、違う視点で生きるのが性に合っていることも知っている。

 

そうやって色んな個性の人が、色んな出来事に揉まれながらも、最終的にその経験が自分の居場所を見つけることに繋がっていくのだと思うと世の中上手くできてるよなーと思う。

 

ADHDなんて、そもそも人間を統一するために不都合な能力を”病気”として捉えているだけの話だと、私は思っている。

 

だから、誇る。

恥をかいてみなきゃ、何も始まらないと気付いてしまったから

いつぶりだろうか、足が微かに震えている。

 

会社の上司に、1ヶ月休職したいことを伝えてきた。

前記事のストーリーの続きである。

 

結果は1ヶ月、お休みを頂くことができた。

休職したいことをを伝えるのって、思っているよりもすごく勇気が必要だ。

 

私が勤めている会社はどベンチャーであるから、かなり忙しい。かなり。

私が1人抜けただけでも、大きな負担が他の人たちにかかってしまう。

 

そんなことを考えてしまっていたから、私は結果的に精神を病んだ。

 

そして突然「大変申し訳ないのですが、仕事ができません・・・」と電話で伝えるという、1番迷惑の掛かる形で会社に行けなくなった。

 

友達に「真面目な人ほど、自分の限界まで追いつめて結局朝に会社に行けなくなってバックレたりするんだよ。一番良くない。」と言われて、「御もっともです・・」としか返せなかった。

 

 

上司には「なんで1人で抱え込んだんだ」と、この会社に勤めて初めて怒られた。

 

「あなたを心配して言っているのではないよ。いや、心配はしているけどね。俺はやっぱり経営者だからさ、会社を守らないといけない。みんなの給料を払っていかないといけないんだ。」と。

 

 

私は胸の痛みと共に、「会社」というものを学ばせてもらっている・・・と痛感した。

 

 

そして今日、休職させてもらいたいことを伝えた。

そしたら、また怒られた。

 

「それはあなた自身から出た言葉には思えない。他人の意見をあたかも自分の意見のように話す人は信用できない。あなたはまだ受け売りの言葉で話している。」と。

 

他者の意見を自分の意見にして話しているつもりはなかったけど、冷静になって考えてみると図星だった。

 

恥をかきたくない、良く思われたいという無意識が言葉の端々に出ていたのだろう。

 

自分自身でも気付かなかった自分の心理の裏を暴かれて、逆に恥をかいてしまった。

 

私はいつからかっこつけてしまう大人になっていたのだろう・・・

そんな自分がショックだった。

 

 

 

 

そういえば2年前にも、同じようなことで大人に怒られたことがあった。

 

 

ネットワークビジネスをしている人に「日本や海外の社会情勢が学べるセミナーがあるの。会員でなくてもお金を払えば参加できるよ。」と誘われたときに、私は参加しようとした。

”ネットワークビジネスは興味ないけど、社会のことは勉強したいから試しに行ってみようかな”と、とりあえずやってみよう精神の私がそんなことを考えた結果である。

 

そして「かくかくしかじかで、誘われたから明日行ってくる!」と何気なく大人に話したら激怒されて、私はトラウマになったという事件がある。

 

その”大人”というのは、当時の恋人であり、私の師匠のような存在の人だったからこそ私には尚更こたえた。

今でも私が悪いことをしたとまでは思っていないが、ネットワークビジネスのそんなに関係性がない人に上手いこと騙されそうになっていたのは事実である。

 

「自分の軸はないけど、何か頑張りたい。」と思っているような若者は、こういう口の上手い大人のカモになってしまうのだ。

 

 

私は24歳にもなって自分軸がないことがすごく恥ずかしかったし、情けなかった。

 

 

そんなことがあってからは何でも自分の頭で考えて、自分の意志で行動してきたつもりでいたのに、25歳の私はまた怒られてしまった。

 

 

なぜ怒られたのだろう。

 

なんとなくワカルけど、分かるようでわからない。

 

これはどういう伏線だろう。

 

 

・・・”もっと自分を生きろ”ということだろうか。

という仮説を立ててみた。

 

 

私は自分に嘘をつくのが嫌いだ。

でも大人になるにつれて頭が良くなってくると、自分自身で納得できる理由を探せてしまうようになった。

 

上司は私のその部分を、見透かしていたのかもしれない。

 

 

私はいつから恥をかかなくなっていたんだろう。

 

 

大学生くらいのときは「残念な女」キャラだったから、恥をかくことも比較的容易であった。

  

 

でも海外へ行って、文章を書き始めてから「文章を読んで勇気が出た」「励まされた」「かっこいい」と言ってくれる人が増えた。

すごく嬉しかったのだけど、今までバカにされていじられるのが当たり前だったから、なんか逆に恥ずかしかった。

 

 

「私は敢えて恥ずかしくて痛いことを叫んでいますよ!うへへ!」というスタンスでロマンチックを吐いていたので、それをそのまま肯定されてしまったものだから困惑したのだ。

 

 

でもそのうち肯定されるのにも慣れてきて、素直にありがとうと言えるようになった。

 

それは良いことなのだけど、いつしか”恥をかく”という大事なイベントを企画するのを忘れていた。

 

 

恥をかくということは、「個」の自分を表現するということだと私は思う。

 

自分以外の他者だったり、”普通”からズレているときに恥をかく。

逆に言えば、自分の個性を他者に向かって表現することだと考えてもいいのではないか。

 

 

だから私は、ロマンチッククリエイターとして考えてみた。

 

「どうやったら恥をかけるだろう。」

 

考える方向性が誤っているかもしれないが、恥をかいたら強制的に自分自身の「個」を自分に見せつけることができるのではないかと思うのだ。

 

それで自分軸がつくられないかもしれないけど、どうにかこうにかつくられていくかもしれない。

 

どうやったら自分軸で生きれるのかなんてわからないけど、とりあえず私は考えるより先に行動して、失敗しながら学んでいくやり方が合っている。

 

だからこれでいいのだ。

 

 

恥をかく方法はすぐに浮かんだ。

 

 

「YouTube」だ。

 

 

YouTubeはずっと避けていたものだ。

 

コミュ力はある方だけど、話すのは苦手。

説明するのが苦手だし、1人で話すのも苦手。

動画に自分だけ映っているのも嫌。笑

 

 

でも恥をかきたいと思ったらすぐに浮かんできちゃったからやってみようと思う。

このADHD気質が騒いでいる間に。

 

 

 

 

誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイターの話②

ちなみに、誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイターの話①を書いた時の心境はそれなりだった。

 

唯一語り合える仲間だと思っていた友達に、心の中で別れを告げた日の帰り道、泣いた。

 

彼氏とでも別れた気分だった。

 

 

相手がみている未来に自分がいなくなってしまったのなら、お互い分かれ道を進んでいくしかないでしょ?

 

自分自身でも気付いていないのだろうけど、会話の節々で私を見下しているのが伝わってきてどんどん悲しくなっていくのが自分でも分かった。

 

 

ネットワークビジネスの恐いところは、自分の所属しているコミュニティが最も正しいと信じ込んでしまうことだ。

 

「それは本当にあなた自身から出てる言葉なの?」と思うことがよくある。

 

 

人はお金や時間を投資した分だけ、もしくはそれ以上にその投資したものが素晴らしいことだと思い込む習性がある。

 

 

ネットワークビジネスなんかは特に、ある意味人を騙すようなことをすることになりかねない。

 

その人自身ももはや騙しているなんて思ってなくて、本当に勧誘した相手が幸せになれると思っている人も少なくないだろう。

 

 

人は物事を正当化することが大得意だ。

それも自分自身でも分からないくらい無意識に。

 

 

ネットワークビジネスは実際、ネットワークビジネスをやって幸せになった人もいるだろう。

 

「孤独だったけど仲間が増えた。」

「やりたいこともなく、なんとなく生きていたけど、ネットワークビジネスに出会って生き生きと生きれるようになった。」

 

 

そういう意味では、その人にとっては良い環境なのかもしれない。

しかしだからといってみんなが同じ環境で幸せになれるわけではない。

 

 

やっかいなのは、ネットワークビジネスをしている人たちはそのことを勘違いしている人が多いように思う。

 

 

「毎日同じことの繰り返しの日々ってつまらない。」

「汗水垂らして働くより、自由に暮らした方がいい。」

「会社に雇われて働いてても、お先真っ暗だ。」

 

 

果たしてそうなのだろうか。

 

 

色んな常識があって、色んな人がいて、色んな感情があって、色んな人生がある。

 

 

私の人生が本当に世界が面白くなったのは、そのことに気付いてからだった。

 

 

 

常識はどこまでも固定概念だし、固定概念があることに気付いたときからが、固定概念になる。

 

 

 

今の時代は夢とかやりたいこととかがないと逆に生きづらい世界になりつつあって、私もずっと夢中になれるものが欲しいと思っていた。

 

だからネットワークビジネスに勧誘されるのが得意だったのだろう。

 

人は何か信念や希望を持っていないと、生きれないんじゃないかって思う。

 

 

だから宗教ができたんだと思うし、そんな人の気持ちを利用して良くない宗教やネットワークビジネスも流行るのだろう。

 

最近だったらオンラインサロンも新しい信仰タイプかもしれない。

いい意味でね。

 

そんな世の中で何が大切なのだろうと考えると、自分をどれだけ信仰できるかなのかなと。

 

 

幸か不幸か、正解か間違いかなんて自分で決めればいいんだ。

 

 

本当に大事なことを、忘れないで生きたい。

誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイター(25)の話①

 

”自分がやりたいことを見つけたい”

 

 

「なにが私の幸せ?わからないまま終わる、そんなのはいやだ!」

 

アンパンマンのマーチを自分の人生のテーマソングにしてるくらい、そう思い続けて生きてきた。

 

 

原点は大学1年生のときに出会った「好きなことをして生きていく」という自己啓発王道の本だった。

 

今となっては自己啓発本なんて必要ないくらい自分軸ができたし、読みたいとも思わなくなったなぁ。

 

 

でも当時は新潟生まれ新潟育ちの何も知らない看護学生だった。

 

影響されやすい私は好きなことで生きている人の本を読んで、「そんな生き方ができる人がいるんだ~。すごいなー。」と思った。

と同時にそんな生き方ができるなんて夢みたいな話、自分には無縁だって脳内ですぐに変換された。

 

 

でも心は違ったんだよね。

 

「こんな生き方があるんだ!」って知って、初めて恋愛以外で心がときめいた。

 

まだ世の中を知らない19歳の田舎少女。

 

 

今の自分になれたきっかけだし、その本には感謝してる。

 

 

 

その本の1番最初のページに、「好きなことをやって生きている人に会って打ちのめされよう」って書いてあった。

だからそれから色んな本を読みまくったし、長期休みには東京に出掛けてマッチングアプリで医療系以外の仕事をしてる人に会いまくった。

 

そんなことしてたらいつの間にか「私も人生楽しめるのかもしれない」って思えるようになっていった。

 

 

「普通に就活したら1社も受からないんだろうな」と思っていたことも看護師になった理由の1つだし(看護師は根性でなんとかなるって思ってたからなれた。笑)、

「大人になったら大変で辛い仕事に行くだけの毎日だ」って当たり前のように思っていたし、

「週末イオンモールにショッピングに行くだけの人生かぁ」なんて何も疑わずに嘆いていたくらい救いようのないネガティブだった。

 

その頃の私に比べたら、相当な進歩である。

 

 

そんな感じでマッチングアプリで色んな人に出会っていった中の1人に、ネットワークビジネスの勧誘をしてきた大人がいた。

 

 

イケメンのコミュ力高い20代半ばくらいのお兄さんと、東京のオシャレなカフェで話した。

 

 

そのお兄さんは誰も理解してくれない私のワクワクに、共感してくれた。

 

田舎だし、看護学生だし、そんな話ができる仲間がいなかったから、そんな人と出会えたのがすごく嬉しかった。

 

 

しかもその人自身が自己啓発本のような人で、私の知らない世界をたくさん教えてくれた。

当時の私はめちゃめちゃワクワクしたし、「師匠が現れた!」と思った。

 

 

今となっては分かりやすい営業だったけど、そのお兄さんは上手かった。

しかも世間を知らない私は営業の手法だなんて1ミリも思わなかった。

 

 

だからおすすめしてくれた本を素直に全部買った。

(強要はされてないけど、師匠がおすすめの本だから読みたいと思ってすぐに本屋に行って一気に買ったのだ。)

 

・金持ち父さんと貧乏父さん

・ユダヤ人大富豪の教え1

・ユダヤ人大富豪の教え2

・ユダヤ人大富豪の教え3

 

このタイトルを見て分かる人はわかると思うけど、ネットワークビジネスでよく利用される一般書籍である。

 

お金のリテラシーを学べる本で、本自体はちゃんとしたものである。

 

ネットワークビジネスの人たちがなぜ利用するのかというと、これを読むと自分も労働賃金ではなく権利収入なるもので収入を得たいと思ってもらうのにもってこいということ。

 

簡単に言えば、自由なお金と時間、仲間を手に入れましょう!そのために権利収入を得ましょう!的な感じだ。

 

 

でも権利収入って不動産とか印税とかでないとできない稼ぎ方だから、基本的に何も知らない若者が権利収入をもらえるようになるのはとっても難しいのだ。

 

 ネットワークビジネスは「誰でも簡単に権利収入が得られる!」というのが売りで、広まっているものなのである。

 

 

ネットワークビジネスは何の知識もない人でも、入会費と会員費を払って会員になれる。

 

すごく簡単にいえば、会員になったら今度は自分がそのネットワークビジネスに誰かを勧誘すると、その紹介料とかもろもろでその入会した会員が会員費を払っている限り権利収入を得られる仕組みになっているのだ。

 

一見、他の方法で権利収入を得るよりも簡単に稼げるように見える。

実際物理的にはそうなのかもしれないけど、そんな単純なことでもない。

 

 

何の知識もない若者がお金払って会員になって、急に稼げるようになるわけがないのだ。

 

言いたいことはたくさんあるけれど、今は勧誘された話をしているからまた今度書くとしよう。

 

 

 

そんな感じで私は買った本を読んだり、そのネットワークビジネスで1番成功しているすごい人だよって言われてセミナーの動画を見せられたりした。

 

ちなみに、そのすごい人ってのは”○○薫さん”。

その名前を聞いて分かる人もいると思うけど、私が最初に勧誘を受けたのは「アムウェイ」だ。

 

のちに、思いもよらぬところで出会うことになるのだけどそれはまた今度の記事に書く!

 

 

 

ローマ法王に会いたいって言われて「予定が空いてたらいいよ」って言うレベルの人だよって説明された。笑

 

 

 

渋谷のど真ん中に家があるそのお兄さんのネットワークビジネス仲間のホームパーティーに連れて行ってもらったり、そのお兄さんが友達(その人も同じ仲間)と住んでるめちゃめちゃおしゃれな代々木のお家のゲストルームに泊まらせてもらったりもした。

 

お家はめちゃめちゃおしゃれなのだけど、調理道具、化粧水、シャンプー、サプリメント…

全てがあの”アムウェイ”製品だった。

 

当時は知らなかったけどね。

 

 

 

 

アムウェイのことを教えられた後にネットで調べて初めてネットワークビジネスの存在を知ったし、ネズミ講とかそういう話も知った。

 

 

そして「あんなに親切にしてくれたし、師匠に出会えたと思っていたのに、あれは全て勧誘のためだったのか…」って感じたなぁ。

 

汚れた心を知らない田舎少女は、そんな大人がいることにショックを受けた。

 

 

 

それが私の初めてのネットワークビジネスとの出会い。

というか、闘いの始まり。

 

 

大きな声で言っておきたいのは、ネットワークビジネスもネットワーク系のビジネススクールも私はやっていない。

怪しいこともグレーなこともやってないぞ!!

 

 

でもネットワークビジネス自体は合法だし、その人たちはネットワークビジネスを良いように話すプロである。

だから「違法じゃないよ」とか「ネットワークビジネスではないよ」っていう人も、信じてはいけないのである。

 

 

そんなこと言ったら私も怪しいよな。

 

 

私は真っ当にロマンチッククリエイターだ!!!!

 

怪しいと思われても、職業ロマンチッククリエイターでいたいから、それは貫き通すぞ!!!! 

  

 

ネットワークビジネスに関しては正直、「人に迷惑かけないのであれば、やりたい人はやればいいんじゃん?」程度に思っていたけど、その考えは訂正することにした。

 

長くなるから続きは次の記事で書くことにする。

 

 

私が勧誘された話を記録したことによって、ネットワークビジネス・スクールをしようか悩んでいる人、すでにしているけど悩んでいる人が1人でも救われたらなぁと思ったから、書く。

 

 

もう誰かが、大切な人を失わないために。

 

私の人生を頑張っているのは、私しかいない。

 

”なんで私ばっかりこんな思いしなきゃいけないんだろう”

”なんで私ばっかりこんなできないんだろう”

 

何回そう思いながら泣いただろう。

 

頭で「私だけではない。みんな頑張ってるんだぞ!」と言い聞かせても、心は感情に素直だから頭と心の葛藤が自分の中にストレスを倍増させていく。

 

でもね、気付いたんだ。

 

みんな頑張ってるかもしれないけど、私は私しかいない。

 

 

私の人生を頑張っているのは、私しかいない。

 

 

「私だけではない。みんな頑張ってるんだぞ!」って自分に言い聞かせてた言葉は、

「みんなが頑張ってるから私も頑張っていて、当然だ。むしろこんなことでめげていてはいけない。」

って意味が含まれてるんだ。

 

 

私は誰よりも自分の人生を頑張ってるんだ。

 

 

だから他の人がどれだけ仕事を頑張っているように見えても、どれだけキラキラしているように見える人がいても、関係ない。

 

なんで頭でそうやって言い聞かせるとストレスが倍増するかってさ、その気持ちをもっと細かく解像したら、

 

 

「自分の人生を、誰かの人生と比べるなよ!!」って心の中のにいる自分が自分自身に訴えかけているからだなって思ったの。

 

 

自分の頭(親のような存在)と心(本当の自分)で討論してる感じ。

その討論で起こる摩擦が、ストレスになっているのだろう。

 

親が子どもを守ってあげる必要があるように、自分の頭で自分の心を否定してしまうと心が悲しむのだ。

 

お母さん、なんで分かってくれないの?って。

 

親に理解されないことってすごく悲しいもん。

その悲しさがストレスのように現れてるだけなんだ。

 

 

だから、自分の素直な感情はまず受け止めてあげないとなって思ったのだ。

「分かってもらえなくて寂しい」って感情を見つけてあげるってこと。

 

 

受け止めてあげたら、あとは全力で自分自身を信じてあげること。

 

だって、私は私の人生背負ってるんだから。

イエスマン、始めます。

 

「世界は遊び場なのよ。子どものころはそれを知っているのに、みんないつしかそれを忘れてしまうのね」

 
〜映画『イエスマン”YES”は人生のパスワード』より〜

 

 

今日からイエスマン、始めます。

 

  

人生に遊び心を忘れてしまいそうなときは、実験的なノリで生活すると楽しい。

 

 

最近ノリ悪いな自分。

と感じつつあったのでやります、イエスマン。

 

 

とりあえず1週間。

 

私はどんな1週間を過ごすのか。

 

 

 

早速昨日人に言われたことをやってみようと思って、朝は二の腕と下腹のエクササイズをやってみた。

 

 

最近太った?って2人に言われて、ショックを受けてたら「運動するか食べないかだけど、運動したら?」と言われたのだ。

 

ごもっともの意見である。

 

 

でも私は自分の心を大事にすることに決めているから、そのときはやりたくなかったからやらなかった。

 

ごはんもちゃんと食べる。

でも今日からは”イエスマンをやりたい”から、運動してみた!

 

雨降っててランニングができなかったし、「YouTubeでエクササイズ動画見てみたら?亅と言われたからだ。

 

エクササイズした自分が誇らしくて、気持ちの良い1日のスタートを切れた!

 

 

単純だからいつもよりやる気が出て仕事に集中できた!

 

 

加えて楽しいアイディアがたくさん出てきたし、いつもよりちょっぴり、自分に素直になれた。

 

 

これからどんな展開になるだろう。

 

さぁ、実験開始!!

女の子ブルーの日で思い出す夜行バスの眺め

 

贅沢な悩みだ。

 

やりたいことがわからない。

 

そんなこと言ってる時点で、まず幸せだということに気付いた方がいい。

 

 

月1回でくる女の子ブルーの日で、昨日泣いた。

 

 

生活は幸せを感じているし楽しいけど、向かっていく方向がわからない。

 

ノンストレスだけど、成長痛がない。

 

という贅沢すぎる私の悩み。

 

 

人は幸せでも、それぞれ幸せなりの悩みがあるものだ。

 

 

私の癖でいつも未来を見過ぎてしまって、肝心な”今”を見失いそうになる。

 

 

それが原因だってわかってるんだけどなぁ。

 

 

 

普段はハッピーなのだけど、やっぱり女の子ブルーの日は1か月溜まったものを涙として外に出す日だから。

 

心の奥の感情を認めてあげる日だから。

私にとって女の子ブルーの日も大切なのだ。

 

 

このブログも書きたいときに書くスタイルだけど、いつも書きたくなるのはモヤモヤしているときだ。

私は文字で書くことで感情を目に見えるようにアウトプットして、その感情を浄化している。

 

 

 

最近はニートからようやく脱出し、高校生のときに憧れていたOLになった!

そして2度目の上京。

 

 

色んな思いを馳せながら車に揺られて、夜明けの東京を窓から眺めていた。

 

私が小さい頃、ディズニーランドに行く夜行バスの中でずっと窓の外を見ていたことを思い出す。

私のワクワクの原点だ。

 

 

次の日ディズニーランドで遊ぶというのに、東京の街がキラキラして眠れなかったあの頃。

 

その頃の気持ちと、その憧れの東京に社会人になって上京した1年のことを思い出していた。

 

 

そしてこれから2度目の上京生活が始まる。

 

だからワクワクで楽しいことがたくさんあるけど、モヤモヤも少しずつ溜まっていたのだろう。

 

 

 

私のことを1番わかってくれている人とビデオ通話していて、自分でもあまり気付いていなかったモヤモヤを指摘されてしまった。

だから涙が出てきたのだ。

 

 

その結果次の日の朝顔は浮腫んだけど、気分はスッキリした。

 

 

 

 

こういうときは占いでもやってみるかと思い立ち、YouTubeのタロット占いをしてみた。

 

 

 

そしたら、

“あなたは今までで現在が1番幸せだから、これでいいかなと感じている。
と同時に、もっとやるべきことがあるのではないかと葛藤になっているのではないでしょうか?”

という結果だった。

 

 

 

なるほど…

 

 

 

そして

“今の幸せにしっかり浸ること!それが動き出せる原動力になるから。
今までやってきたことが、これでよかったんだなぁと浸ること。

満足することで次のステップに行けなくなるんじゃないかと思っているのかもしれません。
あなたはその幸せのまま成長していけるので、心配しなくて大丈夫ですよ。”

というアドバイスをしてくれた。

 

 

なるほど…

 

 

確かに。

 

占いは、当てずっぽうやスピリチュアルの話ではない。

心理学だと私は思っている。

 

 

占いの言葉で「果たして自分はそうかな?」と自分自身に聴いて出てくる答えが、気付いていなかった心の声だからだ。

 

そうだな。

 

 

 

今が幸せなのだから、もらったいぶらずにちゃんと幸せに浸ろう。

 

 

 

夢中で飛び込んだ世界は正解だ。

〜ハミングバード〜

ムダなことは、天国じゃできないから、地球で。

幼馴染に久しぶりに会った。

 

保育園に入る前から一緒で、私を含めて5人。

今年で25歳だ。

 

みんな地元の新潟や地方で、給料が高くて安定した会社で働いている。

 

「相変わらず君は、まだまだ遊び足りないね。」と言われて、

「いや~私は飲み歩いたり、男遊びをしたりしたいわけじゃないよ。」と返した。

 

 

…あれ。

 

私は憧れの東京に上京して1年、遊びまくった。

 

でもどんなにディープな東京の遊びをしても、どんなに面白い人たちに会っても、自分のしていることが「表面的なこと」であるように感じた。

だから、自分の人生を変えたかったのではなかったか。

 

そうか。

 

 

私は幼馴染の言う通り、遊び足りてなかったんだ。

人生を。

 

  

 

人は仕事に対する価値観が2つに分かれる。

 

余暇の楽しみのために働く人と、仕事自体を楽しむ人。

 

 

どちらの価値観が幸せだとか、そういうのはない。

 

ただ私は、後者なんだ。

 

 

 

コンビニバイトをしていたとき、暇な時間はたとえ時給が発生していたとしても物凄く「私は何をしているんだろう?」という気持ちになった。

 

お金を稼いでいるのに、時間を無駄にしているような気がしたのだ。

 

 

でも人によっては”楽に稼げる仕事”の方がより良いという人もいる。

 

こうやって世界は成り立っている。

だから世界は面白い。

 

 

だから私は自分の人生をもっと遊びたい。

 

 

ただ性格が根真面目だし、今まで真面目に生きてきたからどうやって遊んでいいのかわからない。

 

笑ってしまうが、自分の好きな遊び方がまだわからない。

 

そんな大人にはなりたくない。

 

 

この選択をしたらこれができなくなって、この選択をしたらこうなれるかもしれないけどリスクが高いし…という感じで何もできなくなる。

 

 

でも、本当は違うのだ。

  

悩んでるふりして、間違ってしまうかもしれない選択を遠ざけているだけなのである。

 

 

失敗するのが恐いのだ。

 

 

でも頭ではわかっている。

 

間違うことを恐れて、何もしない方が失敗だ。

 

そもそも人生において、間違いや失敗なんて存在しない。

 

 

わかっているけど、人間には本能というものがある。

だからそういうときは、自分をまずよしよししてあげよう。

 

私は自分に鞭を打たないスタイルを貫くぞ。

私に「根性」という言葉は似合わない!

 

十人十色だからな。

 

そういうと人生はそんなに甘くないという人がいるけど、人生を甘くするのも苦くするのも自分で決めればいい。

 

 

だから私は、どうやって自分を甘やかそうか考えて生きている。

 

わがままに生きていたい。

 

 

根真面目だから、どうしても気が付くと自分のハードルを上げてしまうからだ。

 

 

うん、だから甘やかす。

でも廃人になりたいわけではない。

 

 

人間だから、誰でも本能的に普段と違うことをしたくないのは当たり前だ。

自分は危機管理能力が高いというところを褒めてあげよう。

 

 

その上で、頭では変化し続けたいと思っている。

だからワクワクしたら「えいっ」てやっちゃうんだ!

 

どんな小さなワクワクでも、ワクワクしたらやってみるスタイルは楽しい。

 

それは青春。

 

「今から海行って花火して夏、始めようぜ!」

「何にもない日だけど、ドレス着ちゃおうぜ!」

 

私の日常。

 

ドレス着たいならパーティーに呼ばれてなくても着ればいいし、回らないお寿司が食べたいなら食べればいい。

 

私は仕事をしたいからする!

 

仕事で未知の世界を知りたいし、未知の私を知りたい。

 

だから今までの私だったら選択しなかったような選択をするのだ!

そうしないと今までと同じ私になる。

 

「えいっ」てやっちゃった後は気持ちがいい。

 

 

後から振り返ってみても、真面目にテスト勉強してたときより、「テスト無理~!」って言って友達と勉強合宿したときの方が思い出に残っている。

梅酒を飲みながら次の日のテストの問題を出し合いっこしてたの懐かしい。

 

でもちゃんとテスト合格したし、単位取れたし、看護師なれたからな!

 

 

私があのとき「友達と一緒に勉強したいけど、次の日テストだから無理。」って断ってたらその思い出はなかったんだよな。

 

何が言いたいのかというと、やりたいことはやった方がいいということだ。

 

 

だって人生は長い暇潰しじゃないか。と私は思っているから。

そして私は文化的な生活が好きだから。

 

ムダなことはたくさんしたいのだ。

だってムダなことって天国じゃできなくない?

 

自分の食べたいモノは目の前にすぐ出てくるし、やりたいと思ったことは努力せずに何だってできる天国は幸せなようで、すぐ飽きると思うのだ。

 

 

だから地球にいるうちに、地球でしかできないムダなことをたくさんしたい。

 

辛くて苦しいことも、悲しいことも今しか経験できないのだ!

 

 

だから、そういう感情は見て見ぬ振りをせずにちゃんと感じて大人になっていきたい。

 

そしてどうせならそういう感情も含めて、”生きてる”ことを楽しみたいなって。

 

 

 

”~しなきゃ”だけで生きる人生って、死ぬときに振り返って後悔することになると思うのだ。

 

 

そして私は後悔しない考え方を身に付けたから、変な結果になってしまっても楽しい展開にできる自信がある。

 

だから後は勇気を出すことを忘れずにいたい。

 

大きな選択をするときに限って、すーぐ忘れちゃうからな。

 

 

 

この前「君におすすめの曲だよ」って教えてもらった歌詞がぴったりなので、書いておこう。

 

 

”右と左どちらが正解 押すべきか引くべきか
それが幸と出るか不幸と出るか
全部やって確かめりゃいいだろう

意味があるのか無いのか 結果が出るか出ないか
もっかいやっても無駄か 全部やって確かめりゃいいだろう

それでも走ってるときだけは 夢に向かって進んでるようで
ときどき目から水がこぼれるけど
それも幸せだと思えてるよ

努力をせずに夢が叶った人と 努力をしても叶わなかった人
たとえ僕は叶わない人だとしても
この足を止めはしないだろう

いつか誰もが驚くような奇跡が この身に起きたとしても
きっと僕だけは驚きはしないだろう
起こるべき奇跡が起きただけさ

「Praying Run」UVERworld ”

 

 

なるほど。

 

悩んでる時間があるなら、全部やって確かめればいいんだ!

 

 

えいっ