嫌なことがあったとき、私はお寿司を食べたくなる。~未来とかはどうでもいい~

いつかのある日、未来とかどうでもよくて、ただただ今この瞬間の絶望に浸りながら歩いたこの道を、今日はとことこ歩いた。

天気が良かったから。

生きていく理由なんてそんなものでいいだろう。

 

嫌なことがあったとき、お寿司を食べたくなる。

お寿司を食べても報われない感情があることを知って、1つまた大人になったと思った。

 

 

嫌なことがあったとき、見たこともない、聞いたこともない国に行きたくなる。

こんな生き様があってもロックだなー、私も何でもどうでもいいことにして生きるぞ!って思えるような気がするから。

「お前、まじかよw」みたいなこと、人生に何回もあるといい。

 

この前友達と飲んでて、早朝に道路で友達が私の靴を意味もなくどこかに放り投げた。

そしたら靴が垣根のどこかに行ってしまったので、靴下で外を歩いた。

 

26歳の女が明け方に一体何をしてるんだろうと冷静にはなったけど、後先考えず靴を投げた友達を好きだったりする。


そういえば一緒に住んでるトルコ人に「How are you?」と挨拶すると、いつも「Good see you!」と返してくれるの嬉しい。

 

 

いつか「See you again.」と次にちゃんと会う決意をしてお別れを言い合う日がくるのだろうか。

それとも「Bye!」って軽く挨拶して、それが最後の会話になったりするのだろうか。

 

大袈裟化もしれないけど、日常生活で、もう会わない人と「またね~!」って言って死ぬまで会わないことなんてざらにあるのだ。

そういう刹那的な、奇跡的な毎日を過ごしてるくせに、いつも夜飲みに出掛ける社長に「お疲れ様でーす。」とぶっきらぼうに言ってしまってる自分もいる。


最近は嫌なことが合ったらビールを飲みたくなるあの感情が表れなくなったのは、なんでだろうね。

今日は1人で、ビール飲んじゃおう。

「私はくそつまならい、普通の人間であるからこそ面白い」という勇気を述べる

自分の客観的で冷静な思考と、ありのままの自分の本心が矛盾して起こった化学反応によって、何かを乗り越えたのちに新しい自分ができる。

そしてその化学反応で一緒に生成される産物が、涙だ。

CO2+H2⇄CO+H2Oで一酸化炭素ができるのと同時に、水ができるみたいにさ。

 

最近何をするにも自分きもいし、ダサいって本心が思ってしまって、頭では「お前、かっこいいぞ。」って言い聞かせてあげるのだけど、結局こらえても後で1人で泣いてしまったりする。

本心と喧嘩して少し新しい自分ができる代わりに、涙が生成されてしまうという仕組みだ。

 

「お前頑張ってるじゃん」の”頑張ってる”を、どうしても主観的にみてしまって。

こんくらいで頑張ってるとか言い聞かせている自分が嫌になるという、悪循環があったりする。

 

上司に叱られているときも、頭で成長するために上司の言っていることは正しいから自分がまだまだなのだとは思うのだけど、心はもっと未熟だからついていけない瞬間がある。

なんなら生理前なので、正論とかいう類のものが全てうざくなってくる。

上司の正論にイラついているのではなく、自分がその正論に当てはまろうとしていることが。

 

自分の本心くらい、大事にしてあげろよって。

正論で成長する部分があるのは確かだけど、とりあえずその叱り役は上司が担ってくれているのだから、自分でその役を買わなくたっていいのだ。

 

お父さんが叱り役なら、なだめ役のお母さん的な存在も自分の中に必要なのだ。

 

とりあえずどうしても自分を許せないのなら、自分の理不尽な感情を肯定する勇気を持ってみるなどしてみる。

 

1人で勇気が持てないのなら、Betty Davisのようなロックとか、GIRLBOSSのような映画を観て、背中を押してもらいにいけばいい。

ロックにのれない人生は、きっとつまらない。