つまらないをネタに、1杯どうですか。

本日、もやもやな感情が生まれた。

  

人は数えきれないくらいの感情を、垂れ流しにして生きている。

自分から生まれた名前のない感情たちが、私の日常をバラエティ豊かにしてくれている。

 

でも私は、「楽しい」や「ハッピー」のような感情ばかりを認め、自分の中の違和感は見て見ぬ振りをして大人になるまで生きてきた。

 

でも楽しいやハッピーはもちろん、もやもやした感情もまた、大切。

もやもやは、自分が進みたい方向のヒントを教えてくれる存在だからだ。

  

だから今日、その取り留めのない感情をキャッチできた自分は成長したのだなと思い、ちょっと嬉しかった。

  

というのは前置きです。

 

 

 

もやもやの感情が誕生したのは、初めて参加した読書会だった。

 

人に誘われて、どういう会なのか興味もあったので試しに参加してみようと思って。

読んだ本を紹介して、それについてみんなで色々話したりするという会だ。

 

参加している人たちは色んな方がいて、多分人生に対して真剣に考えて今を変えたいと思っている人たちな感じがした。

なんか意識が高かった。

 

みんなビジネス書を紹介していて、「こういう部分に感銘を受けたから自分はこれからこうしていきたい」のようなことを話していた。

 

 

 

んー、私は正直つまらなかった。

なんか、もやもやしていた。

 

 

ビジネスとか社会のことととか、働き方とか、そういうことにはちゃんと興味はある。

だけどビジネス書の紹介を聴いていて、その内容を自分の言葉に置き換えて書いてあることをそのまま話しているだけのように感じてしまった。もやもや

 

  

そんなもやもやが生まれた理由を考えてみた結果、私が期待していたのは「その先」だったということが判明した。

 

現在のこの世の中に生きている大人はどういう本を読んで、どういうことを感じて、”どういう意見を持つのだろう”という部分に興味があった。

 

であるのに、その本がどういう本なのかはなんとなく分かっても、紹介している人がどういう価値観を持っていてどういう考え方をするのかということが私にはわからなかった。

そしてそれを聴いた他の人たちに対して意見をして、みんなで考えてそこに生まれる”新しい何か”を私は楽しみにしていたんだなぁと振り返って気付いた。

 

あくまで私の興味についての話であるから、その読書会や参加している人たちを否定しているわけではない。

 

 

小説だったら人によって感じ方や捉え方が違うから、私が期待しているような読書会になるハードルはきっともっと低いと思う。

物語って感情が動きやすいものであるから、人それぞれで全然違う部分がグッときたり、同じ部分でも響いた理由が違ったりする。

だから、読書会であーだこーだ言うの楽しそうだなと思って。

 

 

でも参加者の人たちが紹介していた本は、ビジネス書だ。

ビジネス書は小説と違って「情報」が書かれているから、どこの部分が刺さったかというのは人それぞれ違うとは思うけど、その先の先まで発展させて会話をしないとただの情報交換になってしまう。

 

それではわざわざコミュニティで人と関わって行う価値というものが薄くなる。

それなら自分自身で実際にパラパラって本をめくってみたり、口コミを読んでみたりすればいいのではないか?というのが私の意見である。

 

私はどうせ人と集まって話をするのなら、そこでしか生まれない何かを発生させて持ち帰りたい。

 

 

人間性と人間性、価値観と価値観、人生と人生が同じ本を読んで何を感じて、どう考えるのかをみんなで伝え合い、発展させて生まれたものにこそAIにはできない価値が生まれるのだと思う。

それが私的に、ロマンチックなのだ。

 

でもこの読書会に参加して、将来読書会ではないけど違う分野でコミュニティもつくりたいと考えていたから、自分の価値観が浮き彫りになって自分自身をもっと知れた。

 

 

ちなみに私は益田ミリさんの「今日の人生」というエッセイ漫画を紹介したよ。

筆者の日常がシンプルな漫画で描かれていて、オチもないくらいのシンプルな作品だ。

シンプルに表現されている本当に何気ない、リアルな筆者の日常を読んでいると、普段自分の中ではスルーしてしまっているふとした瞬間に思うこととか、素直な私らしい感情だったり、そういう目に見えない大切なことを気付かせてもらえる作品である。

 

私以外の人がビジネス書を紹介している中きっと場違いだったんだろうなとは思うけど、個人的に思ったのは私のターンが1番色んな人の意見が飛び交っていたし、意見している人の人生が垣間見えたし、話がどんどん発展していってたと思うんだ。

その読書会のコミュニティに対する目的が私とは違うから、それが良いとかわるいとかそういう話ではなく、私の嗜好の観点からの話でね。

 

 

私は最近、自分の枠をもっと広げたい欲がたくさん出てきた。

 

なぜなら私の意見に人生が垣間見えたとして、その人生にもっと面白さが足りないと思うからだ。

という面白くない理由で、私は人生をもっとシャカシャカしたい。

 

もっと論理的なお花畑脳内になりたい。

もっともっと自分の世界観をワイドにしたいし、4D化したいし、文明開化したい。

それでいて、星見上げたい。

 

と思ったのでつまらないをネタに、1杯飲みませんか。

共感と面白いを同じ扱いにはせず、”理解されない面白い”で未来を創ってる話

 

未来を面白くしていくには、最初の思考の”その先”が大事だということに気付いた。

 

情報を受け取って、その知識をそのまま活用するのが一次思考だとしたら、その先の二次思考が大事だということである。

 

 

私はインスタグラムで発信するときに、誰かの言葉をそのまま引用するのが嫌なタイプである。

 

例えば名言をそのままコメントとして投稿するということをしたくない。

(敢えてそのまま引用する場合もあるよ)

 

完全に身内に向けた発信であるし、自己満であるから何でもいいのだけれど何故かそこにこだわりがある。

何故の部分を考えてみたら、私は「自分色を取り入れないと、発信する価値がない」と思っているからだという結果に気付いた。

 

考え方は人それぞれであるから、あくまで”自分の場合は”の話である。

 

 

私が思う「自分色」というのは、誰でも発信できる内容ではなく、25年間生きてきた今までの自分を総じて出てくる言葉である。

 

だからインスタグラムで写真を投稿する際には、「旅行に行ってきました。」「楽しかった。」だけでコメントしたくないというこだわりが私にはあるのだ。

 

上手い、下手は関係ない。

誰得かといえば、自分得だ。

 

大学生のときから無意識に、そんなこだわりでインスタグラムを投稿してきた。

ずーっと同じスタンスで投稿してきたから、それが私の好きなことの一部なのであろう。

 

 

最近はたまにコメントで私の「言葉が好きだ」「感性が好きだ」と言ってくれる人が増えた。

自分得を積み重ねると、こういうイベントが発生したりするから楽しい。

ありがとう。

 

 

私はずっと3日坊主で「続けられないこと」がコンプレックスであったけど、そんな身近にずっと続けていることがあった。

 

やりたいことって本当に無意識にやっていることだから、気付くのって難しいね。

逆に、気付いてしまうとこんな簡単なことだったのかと驚く。

 

だから「自分のやりたいことって何だろう」と考えると仕事や趣味で考えがちだけど、大体の人は逆なんだと思う。

「”私はインスタグラムで自分色を発信するのが好き”だから、なんの仕事をしよう?」なのだ。

 

義務教育で取り入れた方がいいと思う、この授業。

AIがもっと発展したら完璧な思考は必要なくなるからこそ、自分思考が絶対大事なのだ。

人間味のある思考が。

 

 

私がインスタグラムの言葉を考えるときの流れは、

①撮影した写真を気分でピックアップ

ちなみに写真を撮る時も、私は上手く撮ろうとするのではなく、「私がみている世界をどのように切り取ったら一番表現できるかな」というスタンスで撮影している。

 

②その写真を見て、自分の中で大喜利をする。

そこにいるだけで

めちゃくちゃ綺麗に咲いているのに、

鏡に映る桜は風が吹いたら濁っちゃう。

 

私の目にみえている世界も

よく風が吹く。

 

詩人か!と突っ込まれることもあるけど、例えばこんな感じ。

 

この流れで投稿している。

これは私が桜を観に行ったときの写真だけど、「綺麗だった。」だけではつまらないから私なりの感想を述べている。

 

そう、一次思考で「綺麗だな」と思ったことをそのままコメントにしたって私は面白くないのだ。

自分が投稿する意味がない。

私の存在意義を表現したい。(重め)

 

だから「綺麗だな」と思ったのは何故なのかとか、その桜にはどんなストーリーがあるのかとか、桜の視点からみた世界はどうなのか、みたいに色んな視点で自分の感想を考えてみる。

 

私はその過程を楽しんでいる。

 

 

「共感」と「面白い」を同じにしてはいけないという話もそれに似ている。

 

共感されるものは「いいね」されやすい。

あるあるものまねが最近とても流行っているのは、共感と面白さの相乗効果が大きいからではないかと思う。

 

しかし、共感に比べて面白いというのは種類がたくさんある。

funnyやinterestingがあるし、interestingに関しては人によって、あるいは考え方によって変わるのだ。

 

パリコレのファッションが素人にとって何がオシャレなのか理解できないように、面白さも世間に理解されないことがたくさんあるのだと思う。

 

ただ新しい時代を築いてきたのは、時代に理解されない人たちが”理解されない面白さ”をとことん突き詰めたから創られてきたのだ。

  

私はこれをしたい。

 

何か情報を得たとき、自分がどう感じてどう考えて、どう表現するのか。

一次思考の後に自分の世界で考えて、それを現実で表現する過程が、私はロマンチックだと思う。

  

自分にしかわからない面白さ、自分にしかみれない世界観がそこにはある。

 

その面白さや世界観が、他者の面白さや世界観とぶつかったときの化学反応はもっとロマンチックであるから、私はもっと「その先思考」を増やしていきたい。

 

私の”その先思考”とぶつかってくれる方、募集中です。