死にたい私は、今日も楽しそうに生きる。

絶賛今の私は、”死にたい人”に分類される。

でも、物理的に死にたいわけではない。

人間として”死ぬ”という感覚を自分に突きつけたいだけだ。

死にたいという気持ちは、真剣に生きることに向き合っているからこそ感じれる最上級の大人の嗜みだという人がいる。

皮肉にも、私はそんな世界が好きだと思う。

明日、死んでもいいかも。
明日、死にたくない。

そんな狭間で生きている人間の人生はどれくらいの価値があるだろう。

私は今まで散々と色んな角度の世界を見てきたけど、多分肝心な何かを見ていない。

この文章を書いている私は、”わたし”ではない気もしているし。

でも本当は、絶望が好きだったりするのかもしれない。

絶望するたびに、「もうどうなってもいいから好きに生きよう」と考え、「はい、ここまで第1章ね!」と開き直れるので。

そんな状況で、「人間は怠惰だから、何もしないと土にかえっていくんだ。だから秩序を持って能動的に行動することが大事なんだよ。」と、言われた。

変に、腑に落ちてしまった。
恋にも落ちたかったな。

最近は自分の部屋のベッドに寝転びながら、窓から見える青空を眺めていることが趣味になった。

私たちは、自由における恐ろしさを甘くみている。

人とのコミュニケーションってどうするんだっけ?という、ある種のゲシュタルト崩壊が起きるほどに。

地球にいる人間のうち、半分は宇宙人なのかもしれないという浅はかな期待を抱いてみたりもする。

最近、会社の上司に言われた。
「マジで小川さん宇宙人!」

いえ、私は小川(ちいかわ)です。

久方ぶりの世紀末。

いや、今日は2023年の大晦日だ。

スーパーで1人分のお寿司とどん兵衛の蕎麦、あとビールも買ってみた。

”20歳になってちょっとドキドキしながらも、ご褒美にビールを買ってみたときのワクワク”は28歳の私にもまだ少し残っている。

だから買ってみた。

休日のクリスマスに1人で過ごすのは嫌だけど、大晦日に東京で1人で年を越すのはそこまで寂しくない。

これは世紀末じゃない。

2023年の目標は「鈍感力」を高めることだった。

この目標は継続しつつ、2024年の目標は「人間を日常的に楽しむこと」にする。

2023年で自分自身について学んだこと
(仰る通り全てが自己満の世界で生きてます)

1.私が求めているものは、好きな人たちと深い繋がりを感じる瞬間、人生における冒険、何気ない日常であるということ

人と比べると物やお金、成功といったものにあまり対しての欲があまりないことを学んだ。

そういった欲があると思ってたし、そりゃあないわけではないのだけど、そういった分野で尊敬する人たちの真似をして生きてみたら”楽しいけど、なんか違う”ってなった。

それは上京してきて色んな分野の色んなタイプの人たちと関わったり、自分でも少し体験してみたからこそわかったことだ。

そもそも個人的に”あの人は人生成功しているよね”みたいな言葉があまり好きではない。

成功があるということは、失敗もあるということになるのが気にいらない。

綺麗事ではなく、生きてるだけで毎日みんな成功しているし、死んでしまった人も、生まれてこれなかった赤ちゃんも、命が発生した時点から成功してしまってるんだからね。

言うまでもないぞ。

あと、お金は大事です。

言うまでもなく。

2.「世界をみる角度」を発見していくことが好きだということ

写真や動画を撮影するのが好きだし、日常でも非日常でも、自分が経験した景色を発見していくのが好きだ。

それを編集で色や音楽をつけたり、文章を加えて表現するのも好き。

そして目で見える景色はもちろん、出逢った人の生き方やそれに付随する考え方だったり、自分が成長したからこそみえる景色が、この星にはたくさんある。

そういった発見をするために色んな経験をしたり、色んな人と逢ったりするのが好きです。

あと、自分が受け取ったものを世界に還元できる大人になりたいです。

いわゆる冒険家です。

3.HSS型HSP気質だということ

【HSS型HSPの特徴】
・高感受性:外界からの刺激に非常に敏感

・活発でエネルギッシュな性格:アウトドア活動、旅行などのアクティビティを好む傾向

・冒険心や探究心:新しいことに挑戦することを楽しむ傾向がある

・社交性や外交的な能力:社交性が高く、人とのコミュニケーションや人間関係を重視する傾向がある

・自由奔放:束縛されることを嫌い、自由で自分のペースで生きることを好む

私のことを知っていれば知っている人ほど特徴に当てはまっているのがわかると思うし、なんならこの記事を読むだけでわかっちゃうレベルでこれ、私のことなんですよ、切ないほどに。

ちなみにこれは病気ではないし、本当は勘違いされるのも嫌なのでどうかなと思ったけど、これは私だと胸を張って堂々と生きていきたいと思ったので、記事にも書いてみた。

自分の性格とやってることとの矛盾が多すぎて、言うならば「ロマンチックなサイコパス」のような性質らしい。

自分で納得してしまえた。

今後の人生はそんな自分の個性をどれだけ才能として生かして楽しく生きていけるかに挑戦していきたいと思った次第です。

・能天気に見せて銀河系より壮大に悩み

・周りに余裕に見せて思考の洪水が渦巻き

・期待に応えるために限界極限まで追い込み

・グループに合わせ人格を創造しては破壊し

・負荷が限界になって感情の電源が落ちても

・好奇心旺盛で刺激を求め何度でも繰り返す

・そんなループに疲れたら定期的に日記やSNSで言語化して、「本当の自分の気持ち」をたまに俯瞰する→まさに今ここ

ちなみに1月末までお仕事休職してます。

そろそろお寿司と年越し蕎麦を食べながらビールを飲む時間がやってきたので、来年のテーマソングを発表しようと思う。

「情熱の薔薇」:THE BLUE HEARTS

見てきた物や聞いた事 今まで覚えた全部
でたらめだったら面白い

映画や小説はミステリーが好きなのですが、死ぬときに伏線回収できるネタをどれだけ撒いていけるかという感覚で毎日生きてます。

死にたい私は、2024年を楽しみにしています。

冷蔵庫に入ってる誰かのプリンを勝手に食べちゃってから始まる、浪漫飛行。

私はもっと自分の生命をエンターテイメントとして楽しみ尽くしたい。

出世だとか結婚だとか、老後がどうだとか、どうでも良くなくなるくらい”今この瞬間”を楽しみたい。

そういう”日本語には存在しない部分の日常”を冒険していたい。

失敗しないように、死なないように生きる人生は嫌だ。

失敗しても笑い飛ばせる生き方をしたいし、死ぬくらい本気になれることを見つけて死んでいきたい。

「昨日はなんであんなに笑ったんだろう?」って思うくらい笑い転げる夜が、いくつも欲しい。

「欠点だらけの相手なのに、なぜか愛してしまった」という恋愛をしてみたいし、自分なんてどうでもよくなるくらい誰かを愛せる恋愛がしてみたい。

2人とも眠れなくて、明け方に1つのカップラーメンを分けて食べて「足りなかったね。」って会話をしたい。

今の私は自己欲求まみれだ。


まぁ、そんな人間も可愛いか。

そうやってゆるく生きたいのなら、自分自身に正論をぶちまかすな。

固定概念で自分を見誤るな、と自分に言い聞かせることは大事だ。

目に見えている現実は、私が創ってきたものであることを忘れちゃいけない。

自分がどんな人間だっていい。

私の中にはポジティブだけど根はネガティブで、パリピだけど陰キャで、バカだけどずる賢い自分もいる。

その事実こそが私的この世界の最も面白いコンテンツとして、優勝してる。

最近気付いたのは、他者は自分と同じではないということ。

当たり前なんだけどさ。

自分が当たり前と思っていることを当たり前と思っている人は、思ってるより少ない。

「これだけはこれが正義!」というものなど存在しない。

そもそも正義なんて、人間社会でしか存在しない。

だから冷蔵庫に入ってる誰かのプリンを食べちゃったって、宇宙からしたら本当にどうでもいいことだ。

そんな世界の中で、それでも、人間の綺麗な心は死んでも持ち続けていたいのである。


そんなこんなで、湯船に浸かりながらcanvaで作ってみたロック画面がこちら。

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苦しいとき、辛いときに、「”面白くなってきた!”と叫べ!それだけでいい!」というメッセージを入れてみた!

デザインは「不安になったら今目の前にあることだけに全集中しよう。気付いたら夜明けが近づいてたりするもんだ。」という意味を込めて選んでみた!

でもさ、朝起きたらさ、そう覚悟を決めたことさえもすっかり忘れてたんだよね。

人生ってそんなもん。

なので1周まわって、ロック画面はこれに設定した。

画像
私の直筆です

こうやって後先考えないで、今絶えず私の中に湧き上がってくる感情をつらつらと書くことで、成仏してくれる負の感情があるので文章書いてます。

ここまで長々と書いておいてなんなのだけど、適当に生きる宣言します!!!!

28歳目前(女)の失恋は重いが、結果、全ては人生を楽しむための前振りだった。

「今じゃなくていいけど、将来結婚を考える可能性はあるの?」

「ない。」

「あ、そっか、じゃあ..バイバイ。…今までありがとう。」


2023年1月8日に、28歳を目前にして失恋した。

初めて現実的に”この人と結婚したい。”と思った人だった。




確かに最初から結婚は考えてないという人ではあったけど、私と出会って少しは考え始めたと言ってくれたことがあった。

私も今すぐに結婚したいわけではなかった。

だから確実に結婚するわけではなくてもいいので、お互いが好きならば一緒に居ればいいと思っていた。

でも出会って11ヶ月で将来結婚を考えてないと言われてしまったので、私は別れを告げた。


やはり幸せな家庭を築くことが夢だったので、可能性が0%と言われたら28歳を目前にした女として適切な判断だったとは思う。

ただ、同時につまんない女かもしれないなと思った。


なんというか、ロックじゃない。
うん。


自分が20歳代前半のときに、アラサーになって結婚に焦ってマッチングアプリで初めて会った人に質問攻めしている人になんてなりたくないと思っていた。

私はその二の舞になろうとしている。


だって、今回の失恋の学びを生かすとしたら、好きになる前に”結婚の意思があるかどうか”って確認することではないだろうか。


だから、まさか自分にこんな壁が立ちはだかるなんて…と嘆いた。

そして子どもを産むなら色々なリスクを考えると30歳くらいで産みたいなというイメージがあるだけで、産もうと思えば40歳過ぎても産める時代だ。

増してや27歳の私が、その1つの基準からした判断だけで今好きな人と敢えて別れるのは、人間らしくないのかもなんて考えが頭をよぎった。


でも私は、理性的な選択を選んだ。


…いや、もしかしたらロックではないけれど、ロマンチッククリエイターとしての直感で選んだのかもしれない。



まぁそんなことはどうでも良くて、私はひとしきり泣いた後、6時間後には案外スッキリして気持ちが切り替わっていた。

女って強いなと、自分で自分を感心した。


ありのままの私を愛してくれない人に費やす時間はないのだ。

ちなみにメンタル強いねと言われるけど、このメンタルになるまでに27年かかりました。


そしてその勢いで、マッチングアプリを登録した。
“婚活とかなんか楽しそうじゃん”というノリで。


ただ、数日後にはアプリの男性のプロフィールを見ながらスキップしまくっている自分に対して自分で蛙化現象になってしまった。

“え、何様ですか私?”

“なんだこの心のない作業は…”

という風に。



そして極めつけにはそんな中でもマッチした2人と会う約束をしたのだけど、2人とも日時まで決まっているのに当日返信が返ってこなかった。

え、この社会ってそんなに「今日行けません」という連絡さえ入れられない人がたくさん人いるの?と嘆いた。


だから1人でラーメンでも食べて帰ろうとしたのだけど、今日は大好きなラーメンでは自分を慰めてあげられる自信がなかった。


なので心のおける女友達に連絡してみた。

「これからもーちゃんたちとタコパするけど来るー?」って返信がきた。


私は今日、タコパをする運命だったんだ!と電車に飛び乗った。
神様ありがとう!!


それでね、タコパをしながら各々の近況を話しながら、あーでもない、こーでもないってワイワイした。

女子会って最高すぎるよな。


で、友達が持ってる「EARTH GYPSY ミラクル 奇跡の毎日が始まる」という本があるのだけど…

“思考”を捨て、”直感”に従い、自分の心に素直になれるメッセージを届けてくれるという本。


本に心の中で質問して、ぱっと開いたページに書いてある言葉をメッセージとして受け取れる。
(方法は他にも複数有。)

私もやってみた。

「私が今やることは何ですか?」
という質問に対して出たメッセージは、

「統合」だった。

 

〜統合の詳細〜

私たちはパズルを組み立てている。
大部分ができたところで、それはそもそも自分が作ったパズルだったことに気づく。

自分で作って、自分でバラバラにして、バラバラにしたピースを1つひとつ集めていたことに気づく。
そうやって、「自分の生きる意味」や、自分の全体が明らかになるのだ。

と書いてあった。

あーなるほど、腑に落ちたという感覚。

去年の4月に会社を辞め、フリーターをしながら休息と今後の方向性を約1年考えていたところだった。

その1年をほぼ共にした好きな人との別れもあったし、来月転職2回目になる会社で働くことが決まり、思い切ってエジプト旅行へ行った結果、この1年を締め括った感覚があった。

そしてそこからの新しい会社、未経験の職種で働くという挑戦が2月から始まる。


現在の私は、まだ何者にもなっていない。
だけど、1年前までの私と大きく違う点がある。


頑張らなくても、ありのままの私を認められるようになったことだ。

27歳に決めた1年の目標は、「とことんナチュラルに生きてみる」だった。

どんな小さなことでも自分の心に忠実に従って行動すること。
意外と難しいのだけど、リハビリを重ねるとできるようになってくるもので。

それって私の人生にとってすごく革命的なことだった。

現在の自分を認めることができたからこそ、結婚願望が湧いてきたというのもある。



ただ、そんなに結婚に対して焦らなくてもいいということも頭ではわかっていた。

こういったことを総じて考えたときに、本から自分に与えられたメッセージが「統合」という意味がすごく腑に落ちたのだ。



今までやってきたことが一見バラバラな様でも、いつかどこかでそのバラバラだった点が繋がるときがくるとなんとなく感じていて。

それが、これからの私の課題なのかなと思った。

いつものようにオチもなくまとめると、結局落ち込んだりしたときは、その後の”嬉しい”とか”感動”したりだとかいう感情を最大限楽しむための前振りでしかないのだと思うのもありかもということ。

渦中にいるときは絶対そんなこと思えないのだけど、心が平穏なときに振り返るといつもそうだということに気付く。

しかもそれは自分が操作できるレベルのことではないからこそ、状況が好転したときの反動が面白い。



今回は友達とのタコパに救われたし、結果良い思い出になっちゃってる辺りがロマンチッククリエイター的に◎なのです。


そう考えると、落ち込んだり、悩んだりすることも総じて愛しい経験だなと。




ちなみに最後に。

カラオケでhitomiさんの歌をよく歌うのだけど、この前別の女友達とスナックに行って一緒に熱唱してたら、歌詞が今の自分にちょっとリンクしてしみた

〜LOVE2000

愛はどこからやってくるのでしょう
自分の胸に問いかけた
ニセモノなんか興味はないワ
ホンモノだけ見つけたい
————————————–


…という歌詞に沁みたのだけど、後からたまたまhitomiさんが「LOVE2020」という歌を出していることを知った。



〜LOVE2020

愛はどこからやってくるのでしょう
自分の胸に問いかけた
食べてみたらマズかった事でも
私の強さに変わってた

愛はどこからやってくるのでしょう
自分の胸に問いかけた
ニセモノだって愛せたなら
ホンモノだって輝き出す

—————————————–

 

この歌詞に共感できる人生を歩んでいて、私は幸せだなと思ったわけです。

 

苦い思いをしなかったらわからなかった幸せが、この世にはある。

 

音楽はそれを思い出させてくれる文化なので、尊いです。

 

 

自分のLOVE2040がどうなっていくのか、楽しみにしながら毎日を生きようと思います。

 

 

 

嫌なことがあったとき、私はお寿司を食べたくなる。~未来とかはどうでもいい~

いつかのある日、未来とかどうでもよくて、ただただ今この瞬間の絶望に浸りながら歩いたこの道を、今日はとことこ歩いた。

天気が良かったから。

生きていく理由なんてそんなものでいいだろう。

 

嫌なことがあったとき、お寿司を食べたくなる。

お寿司を食べても報われない感情があることを知って、1つまた大人になったと思った。

 

 

嫌なことがあったとき、見たこともない、聞いたこともない国に行きたくなる。

こんな生き様があってもロックだなー、私も何でもどうでもいいことにして生きるぞ!って思えるような気がするから。

「お前、まじかよw」みたいなこと、人生に何回もあるといい。

 

この前友達と飲んでて、早朝に道路で友達が私の靴を意味もなくどこかに放り投げた。

そしたら靴が垣根のどこかに行ってしまったので、靴下で外を歩いた。

 

26歳の女が明け方に一体何をしてるんだろうと冷静にはなったけど、後先考えず靴を投げた友達を好きだったりする。


そういえば一緒に住んでるトルコ人に「How are you?」と挨拶すると、いつも「Good see you!」と返してくれるの嬉しい。

 

 

いつか「See you again.」と次にちゃんと会う決意をしてお別れを言い合う日がくるのだろうか。

それとも「Bye!」って軽く挨拶して、それが最後の会話になったりするのだろうか。

 

大袈裟化もしれないけど、日常生活で、もう会わない人と「またね~!」って言って死ぬまで会わないことなんてざらにあるのだ。

そういう刹那的な、奇跡的な毎日を過ごしてるくせに、いつも夜飲みに出掛ける社長に「お疲れ様でーす。」とぶっきらぼうに言ってしまってる自分もいる。


最近は嫌なことが合ったらビールを飲みたくなるあの感情が表れなくなったのは、なんでだろうね。

今日は1人で、ビール飲んじゃおう。

今日がとても楽しいと明日もきっと楽しくて。そんな日々が続いてくと思っているのは、あの頃よりも今だったりする。

10月の空を眺めながら、電車に揺られている。

この瞬間は、今しか存在しないよなぁなんて。

最近は毎日終電まで仕事をして、帰ったら「あー今日もいっぱい怒られた!たくさん学んだ!」って思いながらすやすや眠るだけの日々。

一日一日が、一瞬で終わる。

客観的に見たらブラックかもしれない。

この仕事めっちゃ好き!自分に合ってる!なんて思ってるわけではないけど、不思議と身を粉にして働いているとか、そういう気分でもない。

逆に言えば、ADHDの私が朝から特に休憩も取らず仕事をし続けて、気付いたら終電の時間になってるみたいなのってすごいって思っている。

これは自分が社会に属している心地良さなのだろうか。

それとも仕事を頑張っている自分がいるから、自分を認められる心地良さなのか。

どっちにしろ、そんなこと重要でもないよな。

忙しい=充実感なわけでもない。

忙しさにかまけて…というけれど、毎日をちゃんと生きている感覚がある。

それって幸せことだと思うのだ。

多分、過去の私が欲しかった日常なんだと思う。

「未来に向かって今を生きる」ってこと!

オーストラリアで遊んで暮らしていたときに、私は今を生きれていない感覚がどこかにあったんだよな。

楽しいことはたくさんしたし、新しい世界もたくさん発見する面白さがあった。

でもどこか断続的な感じがしていた。

その少しの違和感を、どうしたらいいのかもわからなかった。

だけど今は未来の自分を創っていくために、ちゃんと今を楽しめているって思っていて。

まだ点と点が繋がっているわけでもないけど、いつか繋がるときがくるのを密かに楽しみにもしている。

そういう生き方の方が私らしい。

目の前だけ見ていると疲れるし、大変なことばかりなのだけど。

引いてみると、楽しいって思える。

今までみたことのない世界を冒険するためには、今までの自分のままではいられないのだ。

そして今の仕事はわからないことだらけし、無茶振りされるし、責任がとっても重い。

だから自分が嫌でも前へ前へ、変化していかなくちゃいけない。

私はそういう環境に身を置きたかったんだなーって。

勝手に自分が今の自分のままではいられなくなる環境。

人は、自分の意志だけで恒常性に勝ち続けるのがすごく難しいから。

どこに行けばそんな環境があるかなんて想像もできなかったけど、自分の心に素直になっていつも動いていれば自然とそういう場所に行き着くのかもしれないなぁって思った。

ワクワクする世界を行きたいのなら、ワクワクする方向に歩いて行かないと、いつ死ぬかわからないしな。

逆にいえば心躍る方に歩いていけば、間違いも失敗ではないって思えるから好きな方に行けばいいんだって思う。

10年後何してるかわからない、明日何してるかわからない、そういう生き方を好んでる。

今日は「ブラジルのアマゾンで筏を作って1ヶ月川を下ったけど、途中で1ヶ月分の食料が川に流されちゃってぴえんだった」なんてエピソードを持っている年下の男の子に会ったのだけど、いかしてるなって。笑

自分にとってのロックなドラマってどうやって創っていくんだろうなーって考えたときに、やっぱりどうなるかわからない世界に飛び込むしかないなっていう結論に至る。

ロマンチックって、どうなるかわからない世界へ飛び込むことらしいからさ。

もっともっと、自分の予想もできないことを起こしていくぞ!

と思いながら今日も眠ろう。

おやすみなさい。

「ドンキ行かん?」から始まる、日曜日の夜

当たり前のように明日が来る毎日に、焦っていた。

 

「ドンキ行かん?」

日曜日の夕方、廊下でばったり会った彼が提案してきた。

 

「じゃあドンキまで、そこのコンビニでお酒買って1本飲みながら行きましょう!」

「なんでやねん。コンビニにも俺の買いたい緑茶はあるんよ。でもドンキの方がちょっと安くなるからドンキ行こうと思ってるのに、コンビニで買ったら意味ないやん。」

「日曜日は、無駄をする日じゃないですか!」

「確かにそうやな。」

 

思ったより簡単に、説得できてしまった。

 

追加でみほちゃんとしげくんを口説いて、みんなでドンキまで出かけることになった。

わーい、みんなでお出かけ。

 

もちろん、ちゃんとコンビニにもみんなを引き込む。

みんなも「じゃあ飲むか。」と言って、お酒を買った。

普段みんなそんなにお酒飲まない大人なのに、私のわがまま聞いてくれたことが嬉しくて、にまにました。

 

そんでもって私は、角ハイボールを買った。

昨日観たYouTubeで、手越が「体絞ってるから」といって飲んでたお酒が角ハイボールだったから。

 

「かんぱーい!」

コンビニの前で乾杯して、出発した。

いざ、ドンキへ。

 

「うわ、まず。やっぱまずかった。角ハイボール久しく飲んでなかったけど、まずい。」

「そりゃあ、そうだろ。」

みんなジュースみたいなお酒飲みやがって。

 

調子に乗って、強いお酒を選んでしまった。

みんなと飲めるのが嬉しかったから。

 

でもまずいし、度数強いし、歩いてるし、すぐ酔った。

じわじわって、普段は冷え性なのに体の循環が良くなってるのがわかって、気持ちよくて、もっとにまにました。

 

のろのろ歩いたから15分くらいでドンキに到着した。

みんなで好きなように生活品を買って、帰った。

 

そんな日曜日、おばあちゃんになってもしたいなーなんて、帰り道みんなの後ろを歩きながら思った。

 

その夜は、”みんなも、みんなの人生を生きてるんだよなー。”とか当たり前のことを思いながら、

いつもよりちょっとぐっすり寝れた。

 

月曜日が楽しみとまでは思わないけど、「明日からも頑張ろ。うふふ」くらいの気持ちで眠りについた日曜日の人生。

誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイターの話②

ちなみに、誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイターの話①を書いた時の心境はそれなりだった。

 

唯一語り合える仲間だと思っていた友達に、心の中で別れを告げた日の帰り道、泣いた。

 

彼氏とでも別れた気分だった。

 

 

相手がみている未来に自分がいなくなってしまったのなら、お互い分かれ道を進んでいくしかないでしょ?

 

自分自身でも気付いていないのだろうけど、会話の節々で私を見下しているのが伝わってきてどんどん悲しくなっていくのが自分でも分かった。

 

 

ネットワークビジネスの恐いところは、自分の所属しているコミュニティが最も正しいと信じ込んでしまうことだ。

 

「それは本当にあなた自身から出てる言葉なの?」と思うことがよくある。

 

 

人はお金や時間を投資した分だけ、もしくはそれ以上にその投資したものが素晴らしいことだと思い込む習性がある。

 

 

ネットワークビジネスなんかは特に、ある意味人を騙すようなことをすることになりかねない。

 

その人自身ももはや騙しているなんて思ってなくて、本当に勧誘した相手が幸せになれると思っている人も少なくないだろう。

 

 

人は物事を正当化することが大得意だ。

それも自分自身でも分からないくらい無意識に。

 

 

ネットワークビジネスは実際、ネットワークビジネスをやって幸せになった人もいるだろう。

 

「孤独だったけど仲間が増えた。」

「やりたいこともなく、なんとなく生きていたけど、ネットワークビジネスに出会って生き生きと生きれるようになった。」

 

 

そういう意味では、その人にとっては良い環境なのかもしれない。

しかしだからといってみんなが同じ環境で幸せになれるわけではない。

 

 

やっかいなのは、ネットワークビジネスをしている人たちはそのことを勘違いしている人が多いように思う。

 

 

「毎日同じことの繰り返しの日々ってつまらない。」

「汗水垂らして働くより、自由に暮らした方がいい。」

「会社に雇われて働いてても、お先真っ暗だ。」

 

 

果たしてそうなのだろうか。

 

 

色んな常識があって、色んな人がいて、色んな感情があって、色んな人生がある。

 

 

私の人生が本当に世界が面白くなったのは、そのことに気付いてからだった。

 

 

 

常識はどこまでも固定概念だし、固定概念があることに気付いたときからが、固定概念になる。

 

 

 

今の時代は夢とかやりたいこととかがないと逆に生きづらい世界になりつつあって、私もずっと夢中になれるものが欲しいと思っていた。

 

だからネットワークビジネスに勧誘されるのが得意だったのだろう。

 

人は何か信念や希望を持っていないと、生きれないんじゃないかって思う。

 

 

だから宗教ができたんだと思うし、そんな人の気持ちを利用して良くない宗教やネットワークビジネスも流行るのだろう。

 

最近だったらオンラインサロンも新しい信仰タイプかもしれない。

いい意味でね。

 

そんな世の中で何が大切なのだろうと考えると、自分をどれだけ信仰できるかなのかなと。

 

 

幸か不幸か、正解か間違いかなんて自分で決めればいいんだ。

 

 

本当に大事なことを、忘れないで生きたい。

誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイター(25)の話①

 

”自分がやりたいことを見つけたい”

 

 

「なにが私の幸せ?わからないまま終わる、そんなのはいやだ!」

 

アンパンマンのマーチを自分の人生のテーマソングにしてるくらい、そう思い続けて生きてきた。

 

 

原点は大学1年生のときに出会った「好きなことをして生きていく」という自己啓発王道の本だった。

 

今となっては自己啓発本なんて必要ないくらい自分軸ができたし、読みたいとも思わなくなったなぁ。

 

 

でも当時は新潟生まれ新潟育ちの何も知らない看護学生だった。

 

影響されやすい私は好きなことで生きている人の本を読んで、「そんな生き方ができる人がいるんだ~。すごいなー。」と思った。

と同時にそんな生き方ができるなんて夢みたいな話、自分には無縁だって脳内ですぐに変換された。

 

 

でも心は違ったんだよね。

 

「こんな生き方があるんだ!」って知って、初めて恋愛以外で心がときめいた。

 

まだ世の中を知らない19歳の田舎少女。

 

 

今の自分になれたきっかけだし、その本には感謝してる。

 

 

 

その本の1番最初のページに、「好きなことをやって生きている人に会って打ちのめされよう」って書いてあった。

だからそれから色んな本を読みまくったし、長期休みには東京に出掛けてマッチングアプリで医療系以外の仕事をしてる人に会いまくった。

 

そんなことしてたらいつの間にか「私も人生楽しめるのかもしれない」って思えるようになっていった。

 

 

「普通に就活したら1社も受からないんだろうな」と思っていたことも看護師になった理由の1つだし(看護師は根性でなんとかなるって思ってたからなれた。笑)、

「大人になったら大変で辛い仕事に行くだけの毎日だ」って当たり前のように思っていたし、

「週末イオンモールにショッピングに行くだけの人生かぁ」なんて何も疑わずに嘆いていたくらい救いようのないネガティブだった。

 

その頃の私に比べたら、相当な進歩である。

 

 

そんな感じでマッチングアプリで色んな人に出会っていった中の1人に、ネットワークビジネスの勧誘をしてきた大人がいた。

 

 

イケメンのコミュ力高い20代半ばくらいのお兄さんと、東京のオシャレなカフェで話した。

 

 

そのお兄さんは誰も理解してくれない私のワクワクに、共感してくれた。

 

田舎だし、看護学生だし、そんな話ができる仲間がいなかったから、そんな人と出会えたのがすごく嬉しかった。

 

 

しかもその人自身が自己啓発本のような人で、私の知らない世界をたくさん教えてくれた。

当時の私はめちゃめちゃワクワクしたし、「師匠が現れた!」と思った。

 

 

今となっては分かりやすい営業だったけど、そのお兄さんは上手かった。

しかも世間を知らない私は営業の手法だなんて1ミリも思わなかった。

 

 

だからおすすめしてくれた本を素直に全部買った。

(強要はされてないけど、師匠がおすすめの本だから読みたいと思ってすぐに本屋に行って一気に買ったのだ。)

 

・金持ち父さんと貧乏父さん

・ユダヤ人大富豪の教え1

・ユダヤ人大富豪の教え2

・ユダヤ人大富豪の教え3

 

このタイトルを見て分かる人はわかると思うけど、ネットワークビジネスでよく利用される一般書籍である。

 

お金のリテラシーを学べる本で、本自体はちゃんとしたものである。

 

ネットワークビジネスの人たちがなぜ利用するのかというと、これを読むと自分も労働賃金ではなく権利収入なるもので収入を得たいと思ってもらうのにもってこいということ。

 

簡単に言えば、自由なお金と時間、仲間を手に入れましょう!そのために権利収入を得ましょう!的な感じだ。

 

 

でも権利収入って不動産とか印税とかでないとできない稼ぎ方だから、基本的に何も知らない若者が権利収入をもらえるようになるのはとっても難しいのだ。

 

 ネットワークビジネスは「誰でも簡単に権利収入が得られる!」というのが売りで、広まっているものなのである。

 

 

ネットワークビジネスは何の知識もない人でも、入会費と会員費を払って会員になれる。

 

すごく簡単にいえば、会員になったら今度は自分がそのネットワークビジネスに誰かを勧誘すると、その紹介料とかもろもろでその入会した会員が会員費を払っている限り権利収入を得られる仕組みになっているのだ。

 

一見、他の方法で権利収入を得るよりも簡単に稼げるように見える。

実際物理的にはそうなのかもしれないけど、そんな単純なことでもない。

 

 

何の知識もない若者がお金払って会員になって、急に稼げるようになるわけがないのだ。

 

言いたいことはたくさんあるけれど、今は勧誘された話をしているからまた今度書くとしよう。

 

 

 

そんな感じで私は買った本を読んだり、そのネットワークビジネスで1番成功しているすごい人だよって言われてセミナーの動画を見せられたりした。

 

ちなみに、そのすごい人ってのは”○○薫さん”。

その名前を聞いて分かる人もいると思うけど、私が最初に勧誘を受けたのは「アムウェイ」だ。

 

のちに、思いもよらぬところで出会うことになるのだけどそれはまた今度の記事に書く!

 

 

 

ローマ法王に会いたいって言われて「予定が空いてたらいいよ」って言うレベルの人だよって説明された。笑

 

 

 

渋谷のど真ん中に家があるそのお兄さんのネットワークビジネス仲間のホームパーティーに連れて行ってもらったり、そのお兄さんが友達(その人も同じ仲間)と住んでるめちゃめちゃおしゃれな代々木のお家のゲストルームに泊まらせてもらったりもした。

 

お家はめちゃめちゃおしゃれなのだけど、調理道具、化粧水、シャンプー、サプリメント…

全てがあの”アムウェイ”製品だった。

 

当時は知らなかったけどね。

 

 

 

 

アムウェイのことを教えられた後にネットで調べて初めてネットワークビジネスの存在を知ったし、ネズミ講とかそういう話も知った。

 

 

そして「あんなに親切にしてくれたし、師匠に出会えたと思っていたのに、あれは全て勧誘のためだったのか…」って感じたなぁ。

 

汚れた心を知らない田舎少女は、そんな大人がいることにショックを受けた。

 

 

 

それが私の初めてのネットワークビジネスとの出会い。

というか、闘いの始まり。

 

 

大きな声で言っておきたいのは、ネットワークビジネスもネットワーク系のビジネススクールも私はやっていない。

怪しいこともグレーなこともやってないぞ!!

 

 

でもネットワークビジネス自体は合法だし、その人たちはネットワークビジネスを良いように話すプロである。

だから「違法じゃないよ」とか「ネットワークビジネスではないよ」っていう人も、信じてはいけないのである。

 

 

そんなこと言ったら私も怪しいよな。

 

 

私は真っ当にロマンチッククリエイターだ!!!!

 

怪しいと思われても、職業ロマンチッククリエイターでいたいから、それは貫き通すぞ!!!! 

  

 

ネットワークビジネスに関しては正直、「人に迷惑かけないのであれば、やりたい人はやればいいんじゃん?」程度に思っていたけど、その考えは訂正することにした。

 

長くなるから続きは次の記事で書くことにする。

 

 

私が勧誘された話を記録したことによって、ネットワークビジネス・スクールをしようか悩んでいる人、すでにしているけど悩んでいる人が1人でも救われたらなぁと思ったから、書く。

 

 

もう誰かが、大切な人を失わないために。

 

私の人生を頑張っているのは、私しかいない。

 

”なんで私ばっかりこんな思いしなきゃいけないんだろう”

”なんで私ばっかりこんなできないんだろう”

 

何回そう思いながら泣いただろう。

 

頭で「私だけではない。みんな頑張ってるんだぞ!」と言い聞かせても、心は感情に素直だから頭と心の葛藤が自分の中にストレスを倍増させていく。

 

でもね、気付いたんだ。

 

みんな頑張ってるかもしれないけど、私は私しかいない。

 

 

私の人生を頑張っているのは、私しかいない。

 

 

「私だけではない。みんな頑張ってるんだぞ!」って自分に言い聞かせてた言葉は、

「みんなが頑張ってるから私も頑張っていて、当然だ。むしろこんなことでめげていてはいけない。」

って意味が含まれてるんだ。

 

 

私は誰よりも自分の人生を頑張ってるんだ。

 

 

だから他の人がどれだけ仕事を頑張っているように見えても、どれだけキラキラしているように見える人がいても、関係ない。

 

なんで頭でそうやって言い聞かせるとストレスが倍増するかってさ、その気持ちをもっと細かく解像したら、

 

 

「自分の人生を、誰かの人生と比べるなよ!!」って心の中のにいる自分が自分自身に訴えかけているからだなって思ったの。

 

 

自分の頭(親のような存在)と心(本当の自分)で討論してる感じ。

その討論で起こる摩擦が、ストレスになっているのだろう。

 

親が子どもを守ってあげる必要があるように、自分の頭で自分の心を否定してしまうと心が悲しむのだ。

 

お母さん、なんで分かってくれないの?って。

 

親に理解されないことってすごく悲しいもん。

その悲しさがストレスのように現れてるだけなんだ。

 

 

だから、自分の素直な感情はまず受け止めてあげないとなって思ったのだ。

「分かってもらえなくて寂しい」って感情を見つけてあげるってこと。

 

 

受け止めてあげたら、あとは全力で自分自身を信じてあげること。

 

だって、私は私の人生背負ってるんだから。

自分自身で失敗できるのは、総じていえばラッキーだ

 

最近幸せだよな、ほんと。

 

るんたった。

 

 

でもピンチの中にいない私って、私らしいのか?

 

と、ふと思ってしまうのが私である。

 

 

 

今までずっと壁を登り続けてた感じがするくらい、”ダメな自分”を乗り越えてきた。

 

 

でも最近安定に幸せだし、平和な日常である。

 

それはそれでいいんだけど、そろそろピンチの感覚味わいたいかも。

 

 

なんて。

 

 

だってさ、今までを振り返ると、いつもピンチの時にドラマが生まれてるんだもん

 

 

でも自分でピンチの状況に足を踏み入れたいわけでもないしなぁ。

 

 

 

…なんて考えていた。

 

 

 

そしたらなんと私の日常にピンチが訪れた。

 

 

 

社長からLINEがきて、「給料の振り込み口座教えて!最初に説明があったと思うけど、15日締めの5日振り込みだから最初の月は半月分の給料だよ!」

 

 

ん?

 

んん???

 

 

お、おーまいがー…

 

 

 

 

私は「15日締めの5日振り込み亅の意味を分かっていなかった。

 

 

というか、私の性格上そういう面倒くさい説明は聞き流すタイプだ。

   

だから、残念ながら「給料は5日に入るのね!」くらいにしか思っていなかった…

 

 

そして私は来月多めに見積もって計算すると、生活費が赤字である。

 

 

ピンチがきた!!!!

 

 

 

お金稼がないと!!!

バイトするしか!!!

 

と焦る私。

 

 

でも来月お金が必要なので、日払いのバイトでなければいけない。

 

 

 

そこで私はまず、Timeeという応募したら1日だけすぐ働けるアプリを使った。

 

そして私が働けるアルバイトが1つ見つかった。

 

 

<<<セブンイレブンの店員>>>

 

 

2016年以降経験者限定の案件だけど、私は18歳の頃に半年くらいセブンイレブンでバイトしていた。

 

ラッキーと思いながらも、私が働いていたのは2014年だ。

新しいレジの機械は分からないし、そもそもレジ打ちとか全然覚えてない。

 

でもやるしかない。

 

 

チキンだけど、覚悟を決めて応募確定ボタンを押した。

 

なんとかなるっしょ!!!

 

 

 

と思いながらも不安なのですぐにYouTubeで「セブンイレブン レジ打ち マニュアル」で検索した。

 

セブンイレブンのレジ打ちのマニュアル動画なんて、なかったけどな。

 

 

 

だからkemioの『レジのバイトって大変』という動画を気休めに見て、セブンイレブンのアルバイトに挑むことになった。

 

 

 

25歳、社会人3年目、会社の正社員であるにもかかわらず、こんな状況になっている自分が可笑しくなってきた。

 

 

 

楽しいなって思っちゃって。

 

あ、久しぶりのこの感覚だ!ってなったの。

 

 

 

”私は今、人生冒険してるんだった”って思い出す感じ。

 

 

 

面白くなってきた。

 

そして類友に電話した。

 

 

その類友も、類友だけあって同じような経験があるのだ。

2人して笑いあった。

 

こういう状況をシェアして笑いあえる友達がいるって幸せだと思う。

 

人ってさ、経験したことないけど”物事を知ってたら自分も経験したような気になっちゃう”ことってよくあるけどさ、やっぱり自分で経験しないとわかんないよね!

 

 

 

学校に遅刻したら先生に怒られるのは当たり前のことだからしないけどさ、意外と怒られないとかあるのかもしれないじゃん。

 

 

遅刻したことで通勤ラッシュじゃない街の景色が見れたり、「そもそもなんで遅刻しちゃダメなんだっけ?」って普段考えないことを考えるきっかけになったりとか。

 

その時は先生に怒られるのは嫌なことでしかないかもしれないけど、30年後の同窓会で「あの頃はお前、よく遅刻して俺に怒られてたのになぁ。そんなお前が今は社長になったのか!」なんて恩師と笑って懐かしむ時間になったら、当時の思い出は宝物になるかもしれない。

 

 

自分自身で失敗できるのは、総じていえばラッキーなんだ。

 

 

いつも遅刻して先生に怒られているあの子を見て、「遅刻はするもんじゃないな」なんて決めつけるのは、案外人生の幅を狭めているのかもしれない。

 

「遅刻も案外わるくないな」なんて思う自分に出会えるかもしれない。

 

 

 

 

そんな風に見ている世界が広がったら、案外人生ってどんな状況でも楽しく生きれる気がしてる。

 

 

 

そして私は、類友と今回のピンチの報告の電話だけでもすごく楽しいって感じたんだよな。

 

あの時の2人にしかわからない”楽しい”だからさ。

 

 

 

そして生きるか死ぬかではない、かわいいピンチではあるけれども、こういう状況を楽しめるようになった自分って成長したんだなって思った。

 

 

 

社会人1年目は手術室看護師、社会人2年目はオーストラリアでウェイターのアルバイトをして、社会人3年目は建築系のOL1年生をしている。

 

 

25歳同い年の友達は社会人3、4年目だ。

 

そう考えるとちょっと焦りたくもなるけど、私はちゃんと人生25歳してるなって思えたんだ。

 

 

そう思ったのは、自分の見ている世界が広がったからなんだ。

 

 

知識だけで、”大学を卒業して社会で働き続けるのが常識というわけではない”と知っていても、私が育った環境はそうやって生きるのが「普通」である。

 

だからどうしても自分だけ違うような気がすることもあったのだ。

自分だけ置いて行かれているような。

 

 

でも海外へ行って色んな生き方をしている人に実際に出会ったり、”周りとは違う自分”を育てててきたからこそ、見えてる世界が広がったんだ。

 

だから私たちはこれからもやったことのない経験をして、失敗もして、今は知らない世界と出会っていくんだよ。

 

 

 

ということで、セブンイレブンの店員してきまーす。