今日がとても楽しいと明日もきっと楽しくて。そんな日々が続いてくと思っているのは、あの頃よりも今だったりする。

10月の空を眺めながら、電車に揺られている。

この瞬間は、今しか存在しないよなぁなんて。

最近は毎日終電まで仕事をして、帰ったら「あー今日もいっぱい怒られた!たくさん学んだ!」って思いながらすやすや眠るだけの日々。

一日一日が、一瞬で終わる。

客観的に見たらブラックかもしれない。

この仕事めっちゃ好き!自分に合ってる!なんて思ってるわけではないけど、不思議と身を粉にして働いているとか、そういう気分でもない。

逆に言えば、ADHDの私が朝から特に休憩も取らず仕事をし続けて、気付いたら終電の時間になってるみたいなのってすごいって思っている。

これは自分が社会に属している心地良さなのだろうか。

それとも仕事を頑張っている自分がいるから、自分を認められる心地良さなのか。

どっちにしろ、そんなこと重要でもないよな。

忙しい=充実感なわけでもない。

忙しさにかまけて…というけれど、毎日をちゃんと生きている感覚がある。

それって幸せことだと思うのだ。

多分、過去の私が欲しかった日常なんだと思う。

「未来に向かって今を生きる」ってこと!

オーストラリアで遊んで暮らしていたときに、私は今を生きれていない感覚がどこかにあったんだよな。

楽しいことはたくさんしたし、新しい世界もたくさん発見する面白さがあった。

でもどこか断続的な感じがしていた。

その少しの違和感を、どうしたらいいのかもわからなかった。

だけど今は未来の自分を創っていくために、ちゃんと今を楽しめているって思っていて。

まだ点と点が繋がっているわけでもないけど、いつか繋がるときがくるのを密かに楽しみにもしている。

そういう生き方の方が私らしい。

目の前だけ見ていると疲れるし、大変なことばかりなのだけど。

引いてみると、楽しいって思える。

今までみたことのない世界を冒険するためには、今までの自分のままではいられないのだ。

そして今の仕事はわからないことだらけし、無茶振りされるし、責任がとっても重い。

だから自分が嫌でも前へ前へ、変化していかなくちゃいけない。

私はそういう環境に身を置きたかったんだなーって。

勝手に自分が今の自分のままではいられなくなる環境。

人は、自分の意志だけで恒常性に勝ち続けるのがすごく難しいから。

どこに行けばそんな環境があるかなんて想像もできなかったけど、自分の心に素直になっていつも動いていれば自然とそういう場所に行き着くのかもしれないなぁって思った。

ワクワクする世界を行きたいのなら、ワクワクする方向に歩いて行かないと、いつ死ぬかわからないしな。

逆にいえば心躍る方に歩いていけば、間違いも失敗ではないって思えるから好きな方に行けばいいんだって思う。

10年後何してるかわからない、明日何してるかわからない、そういう生き方を好んでる。

今日は「ブラジルのアマゾンで筏を作って1ヶ月川を下ったけど、途中で1ヶ月分の食料が川に流されちゃってぴえんだった」なんてエピソードを持っている年下の男の子に会ったのだけど、いかしてるなって。笑

自分にとってのロックなドラマってどうやって創っていくんだろうなーって考えたときに、やっぱりどうなるかわからない世界に飛び込むしかないなっていう結論に至る。

ロマンチックって、どうなるかわからない世界へ飛び込むことらしいからさ。

もっともっと、自分の予想もできないことを起こしていくぞ!

と思いながら今日も眠ろう。

おやすみなさい。