「結婚は、3回くらいしたいと思ってる。」

彼女は真顔で言った。

 

確かに「結婚は1人の人と永遠に」が1番幸せになれるだなんて勝手に思っていたけど、そうでない場合もあるんだろうな。

 

もちろん1人の人と同じ幸せを育むのって、すごく幸せだと思ってる。

 

ただ思ったのは、自分でも知らないうちに決めつけている常識がまだまだ沢山あるなってことだ。

 

厄介なのが、自分でもそれを今まで生きてきた環境で自然にすり込まれた常識なのだと気付いていないことだ。

 

知らないうちにすり込まれた常識で、自分の幸せを決めてしまっているのが恐い。

 

だから私は色んな人にあって、色んな生き方を知って、自分の幸せを選択していきたい。

 

田舎で生まれたけど、ずっと村から出なかったら、自分の幸せは「大学に行って、看護師になって、それなりに旅行をして、素敵な旦那さんに幸せにしてもらう」ことだったと思う。

大学に行くことも、田舎で暮らすことも、看護師として働くことも、旦那さんに幸せにしてもらうことも、全部幸せの選択肢だと思う。

 

ただ、私の幸せは違う選択だと大人になって知った。

世界をまるで知らなかったから。

 

今はすでに看護師を辞めて、どうなるか分からない未来を生きているのが心地いい。

 

変化のない日常って、結構メンタルにくることも学んだ。

 

かといって、狂ったみたいに仕事が好きではないことも学んだ。

 

私は他の誰でもないから、「この人がこれで幸せだから、私も同じことをすれば幸せになれる!」なんてことはない。

 

その幸せを試行錯誤して探すことを、生きると言うのかもしれないなんて思った。

 

何でもいいけど。

 

金曜日の夜だけでもいいから、踊っていられればいいな。

今日はUber eatsを頼もうとしたのだけど、お店もメニューも多すぎて、めんどくさくなった。

 

自由なのだから、何を頼んだっていいのに。

「何でも選んでいいよ!」って結構、難易度高かったりする。

 

でも結局何も選べないで終わるのって、1番つまらないよな。

 

なんて思いながら、自分の足でCoCo壱にカレーを買いに行った。

 

それはそれで、また1つの選択肢だったりもする。

 

何が大事なのかは、”自分の意志で選んだかどうか”だ。

 

人生の選択肢だって、きっと同じで。

 

大きな選択って吟味しがちになってしまうけど、結局えいって飛び込んじゃう勇気が1番大事なんだと思ってる。

私の人生においては。

計画性ゼロだから。(ADHDグレーゾーン診断済)

 

「自分の個性を創っていくために、何を頑張ろうか」という議題が自分の中にずっとある。

 

「鉄は熱いうちに打て」は常に念頭に置いてあるから最初の行動まではするのだけど、それに自分の若さを注ぎ込むのってすごく勇気がいるんだよね。

 

んー私にはこれ合わないなーと思って辞めたこといくつもあるけど、辞める決断をする度に恐かった。

 

やってみた分だけ”こっちの道ではない”ってことは分かるけど、また新しい道を探さないといけなくなる。

 

それって結構、きつい。

 

でもそのキツさって、意外と未来の自分にとっては大事だったりするんだよね。

 

悩んであーでもないし、こーでもないかなんて試行錯誤してできていく自分をどうにかこうにかして可愛がっていくのが自分の仕事だったりするんだろう。

 

そうやって私ができていく。

技術とか肩書きとかそういう部分ではなく、目に見えない、基準もルールもない範囲での、自分が。

 

悩みたいのなら悩めばいいし、現状を変えたいのなら変えればいい。

シンプルに。

 

ときめきたいのなら、タフなハート持たないといけないらしい。

 

逆説的に言えば、死ぬこと以外はかすり傷なんだろう。

だから、どんなときだって、踊ってられればいいんだ。

金曜日の夜だけでもいい。

恥をかいてみなきゃ、何も始まらないと気付いてしまったから

いつぶりだろうか、足が微かに震えている。

 

会社の上司に、1ヶ月休職したいことを伝えてきた。

前記事のストーリーの続きである。

 

結果は1ヶ月、お休みを頂くことができた。

休職したいことをを伝えるのって、思っているよりもすごく勇気が必要だ。

 

私が勤めている会社はどベンチャーであるから、かなり忙しい。かなり。

私が1人抜けただけでも、大きな負担が他の人たちにかかってしまう。

 

そんなことを考えてしまっていたから、私は結果的に精神を病んだ。

 

そして突然「大変申し訳ないのですが、仕事ができません・・・」と電話で伝えるという、1番迷惑の掛かる形で会社に行けなくなった。

 

友達に「真面目な人ほど、自分の限界まで追いつめて結局朝に会社に行けなくなってバックレたりするんだよ。一番良くない。」と言われて、「御もっともです・・」としか返せなかった。

 

 

上司には「なんで1人で抱え込んだんだ」と、この会社に勤めて初めて怒られた。

 

「あなたを心配して言っているのではないよ。いや、心配はしているけどね。俺はやっぱり経営者だからさ、会社を守らないといけない。みんなの給料を払っていかないといけないんだ。」と。

 

 

私は胸の痛みと共に、「会社」というものを学ばせてもらっている・・・と痛感した。

 

 

そして今日、休職させてもらいたいことを伝えた。

そしたら、また怒られた。

 

「それはあなた自身から出た言葉には思えない。他人の意見をあたかも自分の意見のように話す人は信用できない。あなたはまだ受け売りの言葉で話している。」と。

 

他者の意見を自分の意見にして話しているつもりはなかったけど、冷静になって考えてみると図星だった。

 

恥をかきたくない、良く思われたいという無意識が言葉の端々に出ていたのだろう。

 

自分自身でも気付かなかった自分の心理の裏を暴かれて、逆に恥をかいてしまった。

 

私はいつからかっこつけてしまう大人になっていたのだろう・・・

そんな自分がショックだった。

 

 

 

 

そういえば2年前にも、同じようなことで大人に怒られたことがあった。

 

 

ネットワークビジネスをしている人に「日本や海外の社会情勢が学べるセミナーがあるの。会員でなくてもお金を払えば参加できるよ。」と誘われたときに、私は参加しようとした。

”ネットワークビジネスは興味ないけど、社会のことは勉強したいから試しに行ってみようかな”と、とりあえずやってみよう精神の私がそんなことを考えた結果である。

 

そして「かくかくしかじかで、誘われたから明日行ってくる!」と何気なく大人に話したら激怒されて、私はトラウマになったという事件がある。

 

その”大人”というのは、当時の恋人であり、私の師匠のような存在の人だったからこそ私には尚更こたえた。

今でも私が悪いことをしたとまでは思っていないが、ネットワークビジネスのそんなに関係性がない人に上手いこと騙されそうになっていたのは事実である。

 

「自分の軸はないけど、何か頑張りたい。」と思っているような若者は、こういう口の上手い大人のカモになってしまうのだ。

 

 

私は24歳にもなって自分軸がないことがすごく恥ずかしかったし、情けなかった。

 

 

そんなことがあってからは何でも自分の頭で考えて、自分の意志で行動してきたつもりでいたのに、25歳の私はまた怒られてしまった。

 

 

なぜ怒られたのだろう。

 

なんとなくワカルけど、分かるようでわからない。

 

これはどういう伏線だろう。

 

 

・・・”もっと自分を生きろ”ということだろうか。

という仮説を立ててみた。

 

 

私は自分に嘘をつくのが嫌いだ。

でも大人になるにつれて頭が良くなってくると、自分自身で納得できる理由を探せてしまうようになった。

 

上司は私のその部分を、見透かしていたのかもしれない。

 

 

私はいつから恥をかかなくなっていたんだろう。

 

 

大学生くらいのときは「残念な女」キャラだったから、恥をかくことも比較的容易であった。

  

 

でも海外へ行って、文章を書き始めてから「文章を読んで勇気が出た」「励まされた」「かっこいい」と言ってくれる人が増えた。

すごく嬉しかったのだけど、今までバカにされていじられるのが当たり前だったから、なんか逆に恥ずかしかった。

 

 

「私は敢えて恥ずかしくて痛いことを叫んでいますよ!うへへ!」というスタンスでロマンチックを吐いていたので、それをそのまま肯定されてしまったものだから困惑したのだ。

 

 

でもそのうち肯定されるのにも慣れてきて、素直にありがとうと言えるようになった。

 

それは良いことなのだけど、いつしか”恥をかく”という大事なイベントを企画するのを忘れていた。

 

 

恥をかくということは、「個」の自分を表現するということだと私は思う。

 

自分以外の他者だったり、”普通”からズレているときに恥をかく。

逆に言えば、自分の個性を他者に向かって表現することだと考えてもいいのではないか。

 

 

だから私は、ロマンチッククリエイターとして考えてみた。

 

「どうやったら恥をかけるだろう。」

 

考える方向性が誤っているかもしれないが、恥をかいたら強制的に自分自身の「個」を自分に見せつけることができるのではないかと思うのだ。

 

それで自分軸がつくられないかもしれないけど、どうにかこうにかつくられていくかもしれない。

 

どうやったら自分軸で生きれるのかなんてわからないけど、とりあえず私は考えるより先に行動して、失敗しながら学んでいくやり方が合っている。

 

だからこれでいいのだ。

 

 

恥をかく方法はすぐに浮かんだ。

 

 

「YouTube」だ。

 

 

YouTubeはずっと避けていたものだ。

 

コミュ力はある方だけど、話すのは苦手。

説明するのが苦手だし、1人で話すのも苦手。

動画に自分だけ映っているのも嫌。笑

 

 

でも恥をかきたいと思ったらすぐに浮かんできちゃったからやってみようと思う。

このADHD気質が騒いでいる間に。

 

 

 

 

「適応障害、ADHDのグレーゾーンです」と診断されたロマンチッククリエイターの話

テトラポットに登っててっぺん先を睨んで、

宇宙に靴飛ばす気持ちってどんなかな。

 

家に帰るだけなのに、いつもなら一刻も早く帰ろうと早歩きするのに、

とぼとぼ歩きながらそんなことを思いながら新宿駅を歩く。

 

みんなどうやって生きてるんだろう。

 

みんなそんなことさえ思わないのかな、普通。

  

 

数日前、頭が重くて、仕事を進めないといけないのに思考することができなくなった。

 

風邪の症状もないのに、勇気を振り絞って会社の人に「病院に行かせてください。」って言った。

優しい声で「うん、行きなさい。」と言ってくれたので、適当に病院を検索して家を出た。

 

頭に網みたいな、最先端みたいな器具を取り付けられて脳波を調べてもらった。

 

そのあと心理カウンセラーの人と、話をした。

看護師をしていたけど勢いで海外へ行って、そのあとやりたかったOLの仕事をしてることとか、今の生活が回っていないこととか。

 

 

 

 

「適応障害ですね。抑うつ状態で、ADHDのグレーゾーンです。」とお医者さんが言った。

私に。

 

「あ〜そうなんですね。私ADHDのグレーゾーンなんですか。面白いですね。」

と言いながら、お医者さんの早口の説明を聞いた。

 

お医者さんも心理カウンセラーの人も優しかったけど、なんかビジネスチックな感じに思えてしまったので「治療は考えさせてください。」とだけ言って帰った。

 

これも東京かぁ。

 

 

ADHDの特性はあるとは思っていたけど、私もグレーゾーンなんだ。

 

 

心理カウンセラーの人は「いいですねぇ」って言ってくれたけど、「この人はADHDなんだろうな」と思って話聞いてたのかなぁと思ったら美人なお姉さんのこともちょっと恐くなってしまった。

 

真相は美人なお姉さんにしかわからないけど。

 

軽度ではあるものの、自分は「障害」というものを所持しているのかと思うと不思議な感覚だった。

 

「私は”普通”の人と違ったんだ。」

一瞬でそう思ってしまった自分が嫌になった。

差別なんてしているつもりは、1ミリもなかったのに。

 

 

勢いで行動できちゃうとこ、意外と好きだったんだけどなぁ。

私の長所が、「障害です」と言われた気がしてすごくショックだった。

 

 

 

家に帰って電話で会社の人に報告した。

「うんうんうん、そうか。まぁでも適応障害は精神科行ったら大体の人が診断されるからね。」

と言われて一瞬言葉が何も出てこなかった。

 

 

その後「無理しないで辛かったら言うんだよ。」と言われた。

辛いから勇気を振り絞って時間もらって病院に行ったし、勇気出して報告したけど、それ以外になんて言えばいいんだ??

と頭にはてなが浮かんだ。

 

もう早く電話を切って一人で泣きたかったから「大丈夫です。」と言って電話を終わらせた。

 

 

それまで我慢していた涙が溢れて止まらなかった。

 

冷静に考えられなくて、「死にたい」なんて言葉が頭に浮かんだ。

そんなことを思ってしまう自分は、自分にショックを受けた。

 

「死にたい」って検索したら自殺対策の電話相談が出てきた。

こんなレベルの私が電話していいものかなんて思いながらも、またどこからか勇気を引っ張ってきて、”いのちの電話”にかけてみた。

 

”ただいま回線が込み合っています。できるだけ初めての方に電話が繋がるようになっています。ただいま回線が込み合っ…プーップーップーッ”

電話が切れた。

 

私の心の糸も切れた。

 

 

「でも仕事しなきゃ。みんなに迷惑を掛けてしまう。」

号泣しながらとりあえず手を動かした。

心の糸が切れたって思ってるだけかな。

手は動かせるもんな。

簡単な作業なのにいつもの倍以上時間が掛かった。

 

 

でも私は恵まれている。

次の日仕事なのに、死にたくなってみた私の話を何時間も電話で聴いてくれる人がいた。

 

死にたくなってみたのに、幸せなのはどういう状況だろう。

 

私はどうやらまた、自分の人生にロマンチック創ってるらしい。

飽き生だけど、ロマンチックくらい生きてる間は創り続けたいな~

 

 

テトラポットないけど、宇宙に靴飛ばしてみようかな。

 

誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイターの話②

ちなみに、誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイターの話①を書いた時の心境はそれなりだった。

 

唯一語り合える仲間だと思っていた友達に、心の中で別れを告げた日の帰り道、泣いた。

 

彼氏とでも別れた気分だった。

 

 

相手がみている未来に自分がいなくなってしまったのなら、お互い分かれ道を進んでいくしかないでしょ?

 

自分自身でも気付いていないのだろうけど、会話の節々で私を見下しているのが伝わってきてどんどん悲しくなっていくのが自分でも分かった。

 

 

ネットワークビジネスの恐いところは、自分の所属しているコミュニティが最も正しいと信じ込んでしまうことだ。

 

「それは本当にあなた自身から出てる言葉なの?」と思うことがよくある。

 

 

人はお金や時間を投資した分だけ、もしくはそれ以上にその投資したものが素晴らしいことだと思い込む習性がある。

 

 

ネットワークビジネスなんかは特に、ある意味人を騙すようなことをすることになりかねない。

 

その人自身ももはや騙しているなんて思ってなくて、本当に勧誘した相手が幸せになれると思っている人も少なくないだろう。

 

 

人は物事を正当化することが大得意だ。

それも自分自身でも分からないくらい無意識に。

 

 

ネットワークビジネスは実際、ネットワークビジネスをやって幸せになった人もいるだろう。

 

「孤独だったけど仲間が増えた。」

「やりたいこともなく、なんとなく生きていたけど、ネットワークビジネスに出会って生き生きと生きれるようになった。」

 

 

そういう意味では、その人にとっては良い環境なのかもしれない。

しかしだからといってみんなが同じ環境で幸せになれるわけではない。

 

 

やっかいなのは、ネットワークビジネスをしている人たちはそのことを勘違いしている人が多いように思う。

 

 

「毎日同じことの繰り返しの日々ってつまらない。」

「汗水垂らして働くより、自由に暮らした方がいい。」

「会社に雇われて働いてても、お先真っ暗だ。」

 

 

果たしてそうなのだろうか。

 

 

色んな常識があって、色んな人がいて、色んな感情があって、色んな人生がある。

 

 

私の人生が本当に世界が面白くなったのは、そのことに気付いてからだった。

 

 

 

常識はどこまでも固定概念だし、固定概念があることに気付いたときからが、固定概念になる。

 

 

 

今の時代は夢とかやりたいこととかがないと逆に生きづらい世界になりつつあって、私もずっと夢中になれるものが欲しいと思っていた。

 

だからネットワークビジネスに勧誘されるのが得意だったのだろう。

 

人は何か信念や希望を持っていないと、生きれないんじゃないかって思う。

 

 

だから宗教ができたんだと思うし、そんな人の気持ちを利用して良くない宗教やネットワークビジネスも流行るのだろう。

 

最近だったらオンラインサロンも新しい信仰タイプかもしれない。

いい意味でね。

 

そんな世の中で何が大切なのだろうと考えると、自分をどれだけ信仰できるかなのかなと。

 

 

幸か不幸か、正解か間違いかなんて自分で決めればいいんだ。

 

 

本当に大事なことを、忘れないで生きたい。

誰よりもネットワークビジネスに誘われるロマンチッククリエイター(25)の話①

 

”自分がやりたいことを見つけたい”

 

 

「なにが私の幸せ?わからないまま終わる、そんなのはいやだ!」

 

アンパンマンのマーチを自分の人生のテーマソングにしてるくらい、そう思い続けて生きてきた。

 

 

原点は大学1年生のときに出会った「好きなことをして生きていく」という自己啓発王道の本だった。

 

今となっては自己啓発本なんて必要ないくらい自分軸ができたし、読みたいとも思わなくなったなぁ。

 

 

でも当時は新潟生まれ新潟育ちの何も知らない看護学生だった。

 

影響されやすい私は好きなことで生きている人の本を読んで、「そんな生き方ができる人がいるんだ~。すごいなー。」と思った。

と同時にそんな生き方ができるなんて夢みたいな話、自分には無縁だって脳内ですぐに変換された。

 

 

でも心は違ったんだよね。

 

「こんな生き方があるんだ!」って知って、初めて恋愛以外で心がときめいた。

 

まだ世の中を知らない19歳の田舎少女。

 

 

今の自分になれたきっかけだし、その本には感謝してる。

 

 

 

その本の1番最初のページに、「好きなことをやって生きている人に会って打ちのめされよう」って書いてあった。

だからそれから色んな本を読みまくったし、長期休みには東京に出掛けてマッチングアプリで医療系以外の仕事をしてる人に会いまくった。

 

そんなことしてたらいつの間にか「私も人生楽しめるのかもしれない」って思えるようになっていった。

 

 

「普通に就活したら1社も受からないんだろうな」と思っていたことも看護師になった理由の1つだし(看護師は根性でなんとかなるって思ってたからなれた。笑)、

「大人になったら大変で辛い仕事に行くだけの毎日だ」って当たり前のように思っていたし、

「週末イオンモールにショッピングに行くだけの人生かぁ」なんて何も疑わずに嘆いていたくらい救いようのないネガティブだった。

 

その頃の私に比べたら、相当な進歩である。

 

 

そんな感じでマッチングアプリで色んな人に出会っていった中の1人に、ネットワークビジネスの勧誘をしてきた大人がいた。

 

 

イケメンのコミュ力高い20代半ばくらいのお兄さんと、東京のオシャレなカフェで話した。

 

 

そのお兄さんは誰も理解してくれない私のワクワクに、共感してくれた。

 

田舎だし、看護学生だし、そんな話ができる仲間がいなかったから、そんな人と出会えたのがすごく嬉しかった。

 

 

しかもその人自身が自己啓発本のような人で、私の知らない世界をたくさん教えてくれた。

当時の私はめちゃめちゃワクワクしたし、「師匠が現れた!」と思った。

 

 

今となっては分かりやすい営業だったけど、そのお兄さんは上手かった。

しかも世間を知らない私は営業の手法だなんて1ミリも思わなかった。

 

 

だからおすすめしてくれた本を素直に全部買った。

(強要はされてないけど、師匠がおすすめの本だから読みたいと思ってすぐに本屋に行って一気に買ったのだ。)

 

・金持ち父さんと貧乏父さん

・ユダヤ人大富豪の教え1

・ユダヤ人大富豪の教え2

・ユダヤ人大富豪の教え3

 

このタイトルを見て分かる人はわかると思うけど、ネットワークビジネスでよく利用される一般書籍である。

 

お金のリテラシーを学べる本で、本自体はちゃんとしたものである。

 

ネットワークビジネスの人たちがなぜ利用するのかというと、これを読むと自分も労働賃金ではなく権利収入なるもので収入を得たいと思ってもらうのにもってこいということ。

 

簡単に言えば、自由なお金と時間、仲間を手に入れましょう!そのために権利収入を得ましょう!的な感じだ。

 

 

でも権利収入って不動産とか印税とかでないとできない稼ぎ方だから、基本的に何も知らない若者が権利収入をもらえるようになるのはとっても難しいのだ。

 

 ネットワークビジネスは「誰でも簡単に権利収入が得られる!」というのが売りで、広まっているものなのである。

 

 

ネットワークビジネスは何の知識もない人でも、入会費と会員費を払って会員になれる。

 

すごく簡単にいえば、会員になったら今度は自分がそのネットワークビジネスに誰かを勧誘すると、その紹介料とかもろもろでその入会した会員が会員費を払っている限り権利収入を得られる仕組みになっているのだ。

 

一見、他の方法で権利収入を得るよりも簡単に稼げるように見える。

実際物理的にはそうなのかもしれないけど、そんな単純なことでもない。

 

 

何の知識もない若者がお金払って会員になって、急に稼げるようになるわけがないのだ。

 

言いたいことはたくさんあるけれど、今は勧誘された話をしているからまた今度書くとしよう。

 

 

 

そんな感じで私は買った本を読んだり、そのネットワークビジネスで1番成功しているすごい人だよって言われてセミナーの動画を見せられたりした。

 

ちなみに、そのすごい人ってのは”○○薫さん”。

その名前を聞いて分かる人もいると思うけど、私が最初に勧誘を受けたのは「アムウェイ」だ。

 

のちに、思いもよらぬところで出会うことになるのだけどそれはまた今度の記事に書く!

 

 

 

ローマ法王に会いたいって言われて「予定が空いてたらいいよ」って言うレベルの人だよって説明された。笑

 

 

 

渋谷のど真ん中に家があるそのお兄さんのネットワークビジネス仲間のホームパーティーに連れて行ってもらったり、そのお兄さんが友達(その人も同じ仲間)と住んでるめちゃめちゃおしゃれな代々木のお家のゲストルームに泊まらせてもらったりもした。

 

お家はめちゃめちゃおしゃれなのだけど、調理道具、化粧水、シャンプー、サプリメント…

全てがあの”アムウェイ”製品だった。

 

当時は知らなかったけどね。

 

 

 

 

アムウェイのことを教えられた後にネットで調べて初めてネットワークビジネスの存在を知ったし、ネズミ講とかそういう話も知った。

 

 

そして「あんなに親切にしてくれたし、師匠に出会えたと思っていたのに、あれは全て勧誘のためだったのか…」って感じたなぁ。

 

汚れた心を知らない田舎少女は、そんな大人がいることにショックを受けた。

 

 

 

それが私の初めてのネットワークビジネスとの出会い。

というか、闘いの始まり。

 

 

大きな声で言っておきたいのは、ネットワークビジネスもネットワーク系のビジネススクールも私はやっていない。

怪しいこともグレーなこともやってないぞ!!

 

 

でもネットワークビジネス自体は合法だし、その人たちはネットワークビジネスを良いように話すプロである。

だから「違法じゃないよ」とか「ネットワークビジネスではないよ」っていう人も、信じてはいけないのである。

 

 

そんなこと言ったら私も怪しいよな。

 

 

私は真っ当にロマンチッククリエイターだ!!!!

 

怪しいと思われても、職業ロマンチッククリエイターでいたいから、それは貫き通すぞ!!!! 

  

 

ネットワークビジネスに関しては正直、「人に迷惑かけないのであれば、やりたい人はやればいいんじゃん?」程度に思っていたけど、その考えは訂正することにした。

 

長くなるから続きは次の記事で書くことにする。

 

 

私が勧誘された話を記録したことによって、ネットワークビジネス・スクールをしようか悩んでいる人、すでにしているけど悩んでいる人が1人でも救われたらなぁと思ったから、書く。

 

 

もう誰かが、大切な人を失わないために。

 

私の人生を頑張っているのは、私しかいない。

 

”なんで私ばっかりこんな思いしなきゃいけないんだろう”

”なんで私ばっかりこんなできないんだろう”

 

何回そう思いながら泣いただろう。

 

頭で「私だけではない。みんな頑張ってるんだぞ!」と言い聞かせても、心は感情に素直だから頭と心の葛藤が自分の中にストレスを倍増させていく。

 

でもね、気付いたんだ。

 

みんな頑張ってるかもしれないけど、私は私しかいない。

 

 

私の人生を頑張っているのは、私しかいない。

 

 

「私だけではない。みんな頑張ってるんだぞ!」って自分に言い聞かせてた言葉は、

「みんなが頑張ってるから私も頑張っていて、当然だ。むしろこんなことでめげていてはいけない。」

って意味が含まれてるんだ。

 

 

私は誰よりも自分の人生を頑張ってるんだ。

 

 

だから他の人がどれだけ仕事を頑張っているように見えても、どれだけキラキラしているように見える人がいても、関係ない。

 

なんで頭でそうやって言い聞かせるとストレスが倍増するかってさ、その気持ちをもっと細かく解像したら、

 

 

「自分の人生を、誰かの人生と比べるなよ!!」って心の中のにいる自分が自分自身に訴えかけているからだなって思ったの。

 

 

自分の頭(親のような存在)と心(本当の自分)で討論してる感じ。

その討論で起こる摩擦が、ストレスになっているのだろう。

 

親が子どもを守ってあげる必要があるように、自分の頭で自分の心を否定してしまうと心が悲しむのだ。

 

お母さん、なんで分かってくれないの?って。

 

親に理解されないことってすごく悲しいもん。

その悲しさがストレスのように現れてるだけなんだ。

 

 

だから、自分の素直な感情はまず受け止めてあげないとなって思ったのだ。

「分かってもらえなくて寂しい」って感情を見つけてあげるってこと。

 

 

受け止めてあげたら、あとは全力で自分自身を信じてあげること。

 

だって、私は私の人生背負ってるんだから。

自分自身で失敗できるのは、総じていえばラッキーだ

 

最近幸せだよな、ほんと。

 

るんたった。

 

 

でもピンチの中にいない私って、私らしいのか?

 

と、ふと思ってしまうのが私である。

 

 

 

今までずっと壁を登り続けてた感じがするくらい、”ダメな自分”を乗り越えてきた。

 

 

でも最近安定に幸せだし、平和な日常である。

 

それはそれでいいんだけど、そろそろピンチの感覚味わいたいかも。

 

 

なんて。

 

 

だってさ、今までを振り返ると、いつもピンチの時にドラマが生まれてるんだもん

 

 

でも自分でピンチの状況に足を踏み入れたいわけでもないしなぁ。

 

 

 

…なんて考えていた。

 

 

 

そしたらなんと私の日常にピンチが訪れた。

 

 

 

社長からLINEがきて、「給料の振り込み口座教えて!最初に説明があったと思うけど、15日締めの5日振り込みだから最初の月は半月分の給料だよ!」

 

 

ん?

 

んん???

 

 

お、おーまいがー…

 

 

 

 

私は「15日締めの5日振り込み亅の意味を分かっていなかった。

 

 

というか、私の性格上そういう面倒くさい説明は聞き流すタイプだ。

   

だから、残念ながら「給料は5日に入るのね!」くらいにしか思っていなかった…

 

 

そして私は来月多めに見積もって計算すると、生活費が赤字である。

 

 

ピンチがきた!!!!

 

 

 

お金稼がないと!!!

バイトするしか!!!

 

と焦る私。

 

 

でも来月お金が必要なので、日払いのバイトでなければいけない。

 

 

 

そこで私はまず、Timeeという応募したら1日だけすぐ働けるアプリを使った。

 

そして私が働けるアルバイトが1つ見つかった。

 

 

<<<セブンイレブンの店員>>>

 

 

2016年以降経験者限定の案件だけど、私は18歳の頃に半年くらいセブンイレブンでバイトしていた。

 

ラッキーと思いながらも、私が働いていたのは2014年だ。

新しいレジの機械は分からないし、そもそもレジ打ちとか全然覚えてない。

 

でもやるしかない。

 

 

チキンだけど、覚悟を決めて応募確定ボタンを押した。

 

なんとかなるっしょ!!!

 

 

 

と思いながらも不安なのですぐにYouTubeで「セブンイレブン レジ打ち マニュアル」で検索した。

 

セブンイレブンのレジ打ちのマニュアル動画なんて、なかったけどな。

 

 

 

だからkemioの『レジのバイトって大変』という動画を気休めに見て、セブンイレブンのアルバイトに挑むことになった。

 

 

 

25歳、社会人3年目、会社の正社員であるにもかかわらず、こんな状況になっている自分が可笑しくなってきた。

 

 

 

楽しいなって思っちゃって。

 

あ、久しぶりのこの感覚だ!ってなったの。

 

 

 

”私は今、人生冒険してるんだった”って思い出す感じ。

 

 

 

面白くなってきた。

 

そして類友に電話した。

 

 

その類友も、類友だけあって同じような経験があるのだ。

2人して笑いあった。

 

こういう状況をシェアして笑いあえる友達がいるって幸せだと思う。

 

人ってさ、経験したことないけど”物事を知ってたら自分も経験したような気になっちゃう”ことってよくあるけどさ、やっぱり自分で経験しないとわかんないよね!

 

 

 

学校に遅刻したら先生に怒られるのは当たり前のことだからしないけどさ、意外と怒られないとかあるのかもしれないじゃん。

 

 

遅刻したことで通勤ラッシュじゃない街の景色が見れたり、「そもそもなんで遅刻しちゃダメなんだっけ?」って普段考えないことを考えるきっかけになったりとか。

 

その時は先生に怒られるのは嫌なことでしかないかもしれないけど、30年後の同窓会で「あの頃はお前、よく遅刻して俺に怒られてたのになぁ。そんなお前が今は社長になったのか!」なんて恩師と笑って懐かしむ時間になったら、当時の思い出は宝物になるかもしれない。

 

 

自分自身で失敗できるのは、総じていえばラッキーなんだ。

 

 

いつも遅刻して先生に怒られているあの子を見て、「遅刻はするもんじゃないな」なんて決めつけるのは、案外人生の幅を狭めているのかもしれない。

 

「遅刻も案外わるくないな」なんて思う自分に出会えるかもしれない。

 

 

 

 

そんな風に見ている世界が広がったら、案外人生ってどんな状況でも楽しく生きれる気がしてる。

 

 

 

そして私は、類友と今回のピンチの報告の電話だけでもすごく楽しいって感じたんだよな。

 

あの時の2人にしかわからない”楽しい”だからさ。

 

 

 

そして生きるか死ぬかではない、かわいいピンチではあるけれども、こういう状況を楽しめるようになった自分って成長したんだなって思った。

 

 

 

社会人1年目は手術室看護師、社会人2年目はオーストラリアでウェイターのアルバイトをして、社会人3年目は建築系のOL1年生をしている。

 

 

25歳同い年の友達は社会人3、4年目だ。

 

そう考えるとちょっと焦りたくもなるけど、私はちゃんと人生25歳してるなって思えたんだ。

 

 

そう思ったのは、自分の見ている世界が広がったからなんだ。

 

 

知識だけで、”大学を卒業して社会で働き続けるのが常識というわけではない”と知っていても、私が育った環境はそうやって生きるのが「普通」である。

 

だからどうしても自分だけ違うような気がすることもあったのだ。

自分だけ置いて行かれているような。

 

 

でも海外へ行って色んな生き方をしている人に実際に出会ったり、”周りとは違う自分”を育てててきたからこそ、見えてる世界が広がったんだ。

 

だから私たちはこれからもやったことのない経験をして、失敗もして、今は知らない世界と出会っていくんだよ。

 

 

 

ということで、セブンイレブンの店員してきまーす。