自分が田舎に生まれた理由は、意外とロマンチックかもしれない話

「アメリカ文化」というものはないらしい。

地域によって違うし、地域の中でも個人によって違うからだ。

 

日本においてはどうだろう。

やっぱり真面目だけどシャイで、自信もないイメージがあるし実際海外と比べるとしたら日本人の気質ってそういう部分にあるだろう。

あと、人生を楽しんでいるように見える人も比較的少ないように思う。

 

あくまで私の立場での個人的な意見であるし、日本人を否定したいわけではない。

むしろ私は日本人が、普通の日本人よりは好きだと思う。

 

私がメルボルンで過ごしていた時、オーストラリアって移民の国だから、誰がオーストラリア人なのか分からないレベルで色んな人種の人たちが生活していた。

偏見が含まれている部分もあるのかもしれないけど、私が出会った人たちはやはり国ごとに人の性格だったり価値観だったり似ている部分があったのは確かだった。

 

 

友達になった中国人に疑問を抱いて、ふとこんなことを聞いたことがある。

「なんで君は、あんまり笑顔にならないの?中国人の人たちってみんなシリアスな表情してない?」って。

なんで中国人の友達に聞いたかというと、私のバイト先の中国人の人たちも全然私に笑ってくれなかったからだ。

 

これはあくまで私の友達の中国人の人が言っていたことなのだけど、中国の文化って親密な関係にならないとあまり笑顔を見せないらしい。

笑顔を見せないという表現は合っていないような気もするけど。

愛想がない感じ!

 

でも1度仲良くなるとすごく心を開くし、信頼性激つよなんだそう。

実際、最初は恐い表情しか見せてくれなかったその中国人の人たちも、関係性ができてくるに従って笑顔を見せてくれることが増えた。

結構、嬉しかった。

 

 

なんてこともあったし、私はラテン系の友達がたくさんいたのだけど、週末は毎回20人くらい友達を集めて、ビーチでBBQをして飲みながら踊り明かすことがよくあった。

 

ダンスが好きな人たちが集まっているのもあるだろうけど、やっぱり日本人とノリが違うなぁと感じた。

私はダンスが好きだからよく友達に踊ろ!っていうのだけど、なかなか日本人で踊ってくれる人っていなかったりする。

日常に踊る文化がないもんね。

 

 

何が言いたいのかというと、人間って環境に大きく左右されるんだなってこと。

 

例で挙げたのは国という環境だけれど、地域、家族、学校、貧富、気候…全ての環境においてそれが言える。

 

自分が好きな食べ物やファッション、やりたい仕事、好きな人…全部自分で選んでいるようで、実はほとんどが「”今までの自分が育った環境によってつくられた自分”に選ばされている」のではないかなって思う。

 

大学生の頃、新潟県民は背油ラーメンが大好きだけど、山形県民の友達らは「あっさりラーメン以外、ラーメンじゃない!」と言われて衝撃だった。

あっさりラーメンも美味しいけど、背油ラーメンがラーメンじゃないなんて、どう育ったらそんな嗜好になるんだ!!って。

 

日本の食べ物大好きマンだけど、海外の人の意見を聞くと「寿司美味しいよね!」とは言われるけど、自分が思っている以上に評価は低い。

やっぱりみんなそれぞれ、故郷の味が1番だという人ばかりだ。

 

大学のゼミで「人間は脳で食べている」というテーマについて研究したのだけど、まさにそれだと思ってる。

故郷の味、つまり慣れ親しんだ「思い出の味」が無敵なのだ。

 

 

ファッションも田舎にいた時だったら絶対しなかったようなファッションを東京で着ているし、自分が進路を考えるときに選択肢が看護師や公務員くらいしか頭になかった。

図書館にある「職業図鑑」的なものでしか、調べる方法が思いつかなかった。

 

「外の世界を知ろうとしなかった自分がわるいよ。」と言われるのだけど、”外の世界がある”だなんて知らなかったんだもん。

知っていたら「どうやって調べればわかるかな?」と考えられるけど、そもそもその存在を知ることがなければ調べようがないでしょ?

 

小さい頃からお母さんにずっと「看護師はいいよ」と洗脳のように言われて育ったことが、私が看護師になった理由において大きな割合を占めている。

ちなみに医療現場での医療ミスも、「ミスは、ミスした人のせいではなく、環境に問題がある」という考え方で改善策を考える。

経済学でも、そんな考え方あるよね。

 

 

上手くいかないことを、環境のせいにしたいわけではない。

その環境に生まれたからといって、後悔があるわけでもない。

全部を含めて今の自分があるわけだから。

 

今の大好きな人たちと出会えたのも、私が生まれた環境、育った環境、今までしてきた自分自身の選択、全てのおかげだ。

  

小さい頃の家庭環境は私にとって最悪だったけど、あの人生で1番辛かった小学生時代が、今の私の基盤となる価値観をつくっている。

 

自分の居場所があるだけで幸せだと思えるし、「明日を生きたくない」と思わなくていい日常にすごく感謝ができる。

こういうことを、綺麗事だと思う人にならずに済んだ。

  

今好きな人を「好きだ」と思えるのは、今まで生きてきた環境のおかげでもあるとさえ思う。

 

なんならそもそもこの環境で生まれたのって、その人と出逢うために、生まれてくる前の自分が仕組んだ環境なのかもしれないなんて思ったりもする。

「え、小さい頃から○○が好きなの?偶然だね、私も!!」ってなって運命感じてしまうのって、人間のロマンチックな性質ではないだろうか。

追記:セーラームーンは、前世で戦争によって幸せになれなかったセーラームーン(月のお姫 様)とタキシード仮面(地球の王子)があまりにも可哀想だと思い、セーラームーンのお母さんが2人を同じ時代の地球に転生させたのである。2人は偶然道端で会って、お互い初めて会ったのに、何故か知っているような感覚を覚えて惹かれ合っていくストーリーである。

 

このロマンチック、お分かりいただけただろうか。

「結婚は、3回くらいしたいと思ってる。」

彼女は真顔で言った。

 

確かに「結婚は1人の人と永遠に」が1番幸せになれるだなんて勝手に思っていたけど、そうでない場合もあるんだろうな。

 

もちろん1人の人と同じ幸せを育むのって、すごく幸せだと思ってる。

 

ただ思ったのは、自分でも知らないうちに決めつけている常識がまだまだ沢山あるなってことだ。

 

厄介なのが、自分でもそれを今まで生きてきた環境で自然にすり込まれた常識なのだと気付いていないことだ。

 

知らないうちにすり込まれた常識で、自分の幸せを決めてしまっているのが恐い。

 

だから私は色んな人にあって、色んな生き方を知って、自分の幸せを選択していきたい。

 

田舎で生まれたけど、ずっと村から出なかったら、自分の幸せは「大学に行って、看護師になって、それなりに旅行をして、素敵な旦那さんに幸せにしてもらう」ことだったと思う。

大学に行くことも、田舎で暮らすことも、看護師として働くことも、旦那さんに幸せにしてもらうことも、全部幸せの選択肢だと思う。

 

ただ、私の幸せは違う選択だと大人になって知った。

世界をまるで知らなかったから。

 

今はすでに看護師を辞めて、どうなるか分からない未来を生きているのが心地いい。

 

変化のない日常って、結構メンタルにくることも学んだ。

 

かといって、狂ったみたいに仕事が好きではないことも学んだ。

 

私は他の誰でもないから、「この人がこれで幸せだから、私も同じことをすれば幸せになれる!」なんてことはない。

 

その幸せを試行錯誤して探すことを、生きると言うのかもしれないなんて思った。

 

何でもいいけど。