落ち込むのも悩むのも、人生のアトラクション

本屋さんに行くと、店頭にはズラリと自己啓発本が並べられている。

自己啓発本がとてつもなく人気ってことだよなぁ
言い換えれば需要があるんだね。

そりゃあみんな自分の人生に迷うよね。


シンデレラストーリー手に入れたいようぜ。

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でも急に「はい、今から好きなことしていいよ!」と言われても、困る人多いのではないだろうか。

私もそのうちの1人だった。

生きてきた環境に、キラキラしている大人がいなかった。

だから大人になるの嫌だなぁと思いながらも、大人になろうとしていた。

そんなときに「好きなことをして生きていこう!」というザ・自己啓発本を手に取った。

好きなことをして生きていこうなんて発想はこれっぽっちもなかった私は、雷が落ちたような衝撃だった。

それから”好きなことをして生きていけるわけはない”という固定概念を持ちながらも、どこかで「私にもこういう生き方があるのかもしれない」という希望を抱いていた。

ワクワクしてしまった。

だからなんとなく本屋さんに立ち入るようになった。

あのワクワクを求めて。

身近にいる大人のアドバイスは信じられなかった。

安定した仕事をして、安定した暮らしをするのが幸せだという意見に疑問を抱くようになったからだ。

私の周りの大人の暮らしは安定していたけど、私にとって魅力的に見えなかったのだ。



だから自分自身で好きなことをして生きている人たちと出会って、話を聞きたかった。

そんなわけであの頃の私は出会い厨になったんだと最近、ふと思った。



SNSがこんなにも普及した。

だから昔は”自由に好きなことして生きていけるのは頭のいい人たちの一握りがなれるもの”って割り切れてたけど、そうではなくなった。

情報が誰でも、簡単に手に入れられるようになったおかげで、自由な生き方が増えたし、自由な生き方をしている人と出会いやすくなった。

普通のサラリーマン、ニート、大学生、中卒みたいな人たちでも自由に好きなことやってる人たちが出てきた。

小学生で起業する子たちだって存在して、もはや言い訳なんて言ってられなくなったもん。


自由に好きなことをして生きれるようになった今の日本。

逆に言えば夢がないと辛い時代に突入したのだ!!!!!Oh no

絶望的なことに、私たち若者はお手本がない。


自由ってそういうことだ。

そして、大人には自由になる責任がある。
言い換えれば、覚悟があれば自由になれる。

もっと言えば、自由にならない方が自分にとって幸せだと思うのなら、

その選択を選ぶのも自由だ。

地球に、正解も間違いもない。

人生に迷ったって、メンヘラになったって、ホームレスになったって、楽しければいいだろう!!

人生はゴールではなく、生きる過程を楽しむものだ。

落ち込んだり、悩んだりすることさえアトラクション。

辛いときはとことん泣けばいい。

あとから振り返ると、自分だけのシンデレラストーリーが始まってたんだと気付く。

自由を恐がらないで、やりたいことをやりつくそうと決めた。

自分だけのストーリーを冒険しよう!

とりあえず風が吹いたから、飛んでみた話

偶然を運命にすることにして、
オーストラリアに飛んできてから3ヶ月が経とうとしている。


英語を学びに来たわけじゃない
お金を稼ぎに来たわけでもない
自分探しにきたわけでもない

自分を創りにきた。


今の生活は語学学校を卒業して、
日本食レストランでウェイターとして働く日々。

正直、もう飽きた!!!!!

理由はわかっている。

お客さんが来ないときは、水槽に入れられて食べられる運命が待っていることを知っているのか知らないのかわからないロブスター咽とカニ呂さんたちと見つめ合いながらひたすらお皿を拭く毎日。

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たとえお客さんに素敵な時間を過ごしてもらうために心を込めてお皿を拭くこともサービスの内だったとしても、私はそのことにワクワクできないことを知った。

ちなみに違うスタッフは、接客してる時よりお皿を拭いている方が楽しいらしいから、世界はよくできているなぁと感心した。

今週は4日間休みが続いたけど特にやることもないし、1日働いたらまた3日休み。

自分の人生の中でも本当に己と向き合ってるし
やりたいことはたくさんあるし
小さな挑戦は地道にしている。

だから次の計画もしてはいるけど、
とりあえずそれまでの期間もひたすら今を生きるしかない。

私の性格的に前までの自分だったら海外の友達たくさん作って出掛けまくっていたんだろうけど、私は今、絶賛モラトリアム期。

自分が何者かになろうとしてもがきまくっているから、初めて海外に住んで冒険はたくさんしたけど、とうとう本気で自分と向き合う時期がきたようなのでただ毎日遊びに出掛ければいいわけでもない。

それと自分と向き合うのもすごく大事だけど、その向き合った結果をアウトプットすることも大事だと思ったのさ。

あと自分のことを曝け出すことも。
若いうちにたくさん恥をかいて青春を見逃さないように生きていきたい!!

やっぱりこういうときの人や言葉との出会いはいつも格別になる。


ここ数日気持ち的には低空飛行だったけど、
素敵な本と出会ったので何か行動したい気持ちになった。

だから気持ちが落ち込んでる時はとことん孤独と仲良くしてみるのもありって思った。

そして今日みたいに風が吹いた日に、
“今日はちょっと飛んでみよう”てな具合に飛んでみるのだ!

そう、ブログを始めてみた!!

自分を生きたら、人生イージーモードになった

  

・自己肯定感が低い。

・自分に自信が持てない。

・自分に価値があると思えない。

 

すべてが以前の私に当てはまる。

 

”美人になったら”

”スタイルがよかったら”

”もっと可愛げがあったら”

・・・幸せになれるんだろうなぁ。

 

そう思っていた頃、人生損していることに気が付いた。

 

 

人生の楽しみ方を履き違えていた

 

そもそも他人軸で生きていることが間違っていたのだ。

 

誰かにブスと言われたから何なのだろう。

誰かに嫌われたからと言ってなんなのだろう。

 

 

ブスって言われるのは辛いし、みんなに嫌われて一人になるのは恐い。

 

でもブスなんて平気で言ってくる人は、私の世界にはいらない。

 

”自分を生きる”ようになってから、そう思うようになった。

 

 

相手に嫌われないように振る舞って、たとえその自分が好きと言われても、ますます自分が惨めになるだけだ。

 

一歩を踏み出すのは恐い。

半歩でさえ恐い。

 

でも、死ぬまでそんな世界で生き続ける方が恐い。

 

 

美人でなくても、胸がなくてお腹出てても、肌が汚くても、

考え方を変えただけで、驚くくらい人に愛されるようになったのだ。

 

異性にも、同性にも。

 

そして幸せはいつも、すでに自分の中に存在していることに気付いた。

 

 

幸せになるのなんて、本当は簡単だったんだ。

 

整形したわけではないし、髪形やメイクを変えたわけでもない。

痩せてもいない。

 

物理的に何も変わったことはなかった。

 

 

自分らしく生きるだけでよかったのだ。

 

 

それはつまり、自分軸で生きるということだ。

 

 

 

”みんなそれぞれ幸せの形は違う”ということに気付いたのは、海外に住んだ24歳のとき。

 

 

語学学校で出会った友達の30代のチリ人夫婦は、「将来はわからないけど旅したかったからメルボルンに来た」と言っていた。

チリではエンジニアと弁護士をしていたのに、今はメルボルンで2人とも清掃のアルバイトをしている。

 

 

BBQで出会った30歳くらいの日本人男性は、1人で世界中を旅をしていた。

ヒッチハイクをして移動したり、ダイビングの資格を取って次の国に行くまでお金を貯めたり、その時やりたいことをして生きていた。

旅する前は、自衛隊にいたらしい。

 

 

 

そのような、日本にいたらなかなか出会えない自由な生き方をしている人たちがたくさんいた。

 

 

そしてその人たちには、共通していることがあった。

 

生きるのが楽しそうだったということ。

笑顔が素敵だということ。

自分の心に素直に生きているということ。

 

 

 

 

本やテレビでみる人ではなく、私は実際にそういう人たちに出会ったのだ。

だから”知識”ではなく、”体験”して”体感”できた。

 

 

そして、学んだ。

 

ブランドファッションを身に付けて、毎日豪華な食事をしている人が羨ましいからといって同じことをしても、それが自分の幸せだとは限らない。

 

公園で遊んでいる家族が幸せそうだから家族を作っても、それが自分の幸せだとは限らないのだ。

 

 

 

幸せになるためにしなければいけないことは、自分の幸せと向き合うことだ。

 

 

 

だから他人の目なんて関係ない。

 

 

他人にどう思われても、自分が幸せであればいいのだ。

 

 

良い人にならなくたっていいんだ。

 

 

わがままに生きて、自分勝手に生きても、そんな私を好きだと言ってくれる人がいる。

 

不思議なことに、むしろその方が人に「好きだ」と言ってもらえることが増えたのだ。

 

 

ハードモードにしていたのは、自分だった。

 

 

世界は自分が思ってたより、イージーモードらしい。